「これからは『普通に生きる』ための決心が必要かもしれません」(中村桂子インタビュー②)

自然を観察の対象にし、それを細部にわたるまで分析することで普遍的な真理を見出す。……この数百年、そうした科学的探求が受け継がれることで、この世界の実体が鮮明に浮かび上がってきましたが、その一方で、分析が進めば進むほど、観察者である「わたし」と観察されるものである「自然」は分離されていき、気がついたら事実だけが一人歩きする味気ない世界に変わってしまった面もあります。

「生命誌」(Bio History)を提唱される中村桂子さんは、DNAの研究者として先端科学の第一線で活動されてきた一人。科学の世界のすばらしいエッセンスを大事にしながら、このつながりを取り戻すための新しい学びの体系を伝えてきました。

私たち人間は、自分もまた自然の一部であることを忘れ、それにゆえに暴走し、自ら不安を増幅させてしまう、とてもふしぎな生き物。そのふしぎさを優しく受け容れながら、目に見えるものと目に見えないもの、科学と野性をどうつないでいくか? 大阪の「生命誌研究館」を訪ね、「生命誌」の視点から、これからの私たちの進んでいく道すじについてお話を伺いました。今回はその第2回。

「普通」に生きましょう

――おかしな話ですが、いまは「普通」を取り戻すプロセスが必要というか……。

中村 私は、いま一番大事なキーワードは「普通」だと思います。最近は書くことにも話すことにも、普通、普通って言葉を使います。この間もNHKの「視点論点」という番組で「普通にやりましょう」って話したら、いい反応が返ってきましたよ。

――最近は変わって来ましたよね。

中村 普通がいいですよ。競争に勝ちましょうとか、お金を儲けしましょうではなくて、普通に生きましょう。もちろん、「普通に生きよう」と思った時に、その人が実際に普通に生きられる社会にしておかないといけません。そこが大事なポイントです。いまは、とてもそうとは言えませんから。どこかわけのわからないところで世の中が動いて、自分がどうしようもないところでグローバルとか言う人がいて。これって、間違っていますよね?

――普通を取り戻すために、先生は科学の役割を話したり、ものの見方、とらえ方を伝えたり……。

中村 「生命誌」には、科学を通じて「ものの見方をこういうふうにしましょうね」と言っている面がありますから、結果として、それがもっと広まればとは思っています。実際、企業の人たちのなかにも、「それはいいですね」と言ってくれる人は増えたけれど、「だから私たちはこれを変えます」とまでは言ってくれない。そこが、いまの人たちの勇気がないところというか……。だって幕末や明治の頃、勇気を持った人たちが時代を変えたわけですよね? いまがその時だと思うんだけれど、なかなかそういう人が出てきませんね。

――身体性というか、体で感じる力が麻痺してしまうと、目の前に問題があっても平気になってしまうんじゃないでしょうか? 

中村 私はね、ノーベル賞とオリンピックは20世紀で終わりだと思っているんです。20世紀においてはノーベル賞も素晴らしいことだったと思いますが、もうあのタイプの仕事は終わりです。だって、たとえば科学の仕事だって、ニュートリノを探すのにカミオカンデを使わないとできないんですよ。やっぱりノーベル賞はアインシュタインにあげるべきでしょう?

――いまは個人の業績よりも、そうした大規模研究が大事になっていますよね。

中村 カミオカンデを作ってニュートリノを探すことは、もちろん大事です。それはやってもいい。だけど、もうそういう時代になったんだから、20世紀型のノーベル賞は終わりましょうよ。良い功績を出した人には、21世紀型のご褒美をあげるシステムをべつに作ればいいんですよ。

――オリンピックも20世紀型なんですか?

中村 私は1964年の東京オリンピックを知っているんですが、本当に素晴らしかったですよ。開会式は進行が1秒たりともずれてはいけないので、それはそれはきっちりとやりきったの。そして、競技がすべて終わって、閉会式になった。

 また日本だからきっちりとやるんだろうなと思ってテレビを観ていたら、選手がウワーッと一斉に入場して来たんです。旗手を肩車したりね、国もバラバラで。日本はちゃんとやるつもりだったと思いますが、これがもう感動的で。みんなで仲良く一つになって、大きく手を振りながら会場をぐるぐるまわってね。でも、いまは選手のためにやってはいないでしょう?

――テレビのためというのが大きいでしょうね。

中村 そもそも、いまは国と国が競い合う時代じゃないです。スポーツを通しみんなで競い、走るのは結構ですが、国単位でメダルの数を争うのは、すごくバカバカしいことだと思います。

◼︎科学と日常を「重ね描き」する

――先ほどの大森荘蔵先生が、「略画」と「密画」という言葉を使っておられますよね?

中村 自分の目で見たり、耳で感じたり、手で触れたりすることで描かれる世界像が「略画」、望遠鏡や顕微鏡を利用して対象を細部までとらえる世界像が「密画」、大森先生はそう語っていますね。日常が略画、科学が密画という分け方もできますから、今日のお話のキーワードにもなると思います。

――数量化の問題も密画のなかにありますから……。

中村 ただ、密画はしっかり書かなきゃいけません。科学って密画ですからね。

――でも、死物化してしまうことの問題を、大森先生は指摘されていますよね?

中村 だから、そこへ自分の世界観を持ってきて、略画と重ねるんです。その時に世界観が出せる。これはある意味では技術ですよ。要するに、略画が世界観で、そこに密画を重ね描きすることが大事なんです。これを無視して、科学をただ悪者みたいに言ってもしかたがありません。科学は密画として、きちっと数量を出して描いていくものです。それに略画をちゃんと重ねましょうということなんです。

――科学は身体や生命を扱っているはずだから、本当は略画の世界を一番わかっていないといけないのに、現実はそうはなっていないと……。

中村 いまは研究費をもらわなければいけないし、競争しなければいけないから、そんなこと言っていると間に合わないとみんな思っているのね。本当はそうではないんですけどね。

――かつては、科学を知れば知るほど自分も豊かになっていくような循環があったと思うんですけれど、それがどこからか……。

中村 消えましたね。それも、お金が大きく動きはじめてからのことです。いまは大型プロジェクトが主流になりはじめているんです。

――個人として気づいて、そこから違う世界観を持つことはできないんでしょうか?

中村 もちろん、ちゃんとわかっている人もいますが、人間には権力欲があるんですね。権力とお金の力っていうのは、どうしようもなく人の心を捕まえたり動かしたりするもののようです。そういうシステムのなかに、いまの大学も入っている。そのなかに入り込んでいると、そういう行動を取るしかないところがあって、それは私もわかるんです。

――そこが難しいですね。単にそこからドロップアウトすればいいとも言えませんし。

中村 社会全体がそうなっているから。たとえば、「あの人があの地位に就いたんだから組織も変わるだろう」と思うような人は過去に何人もいましたが、組織が変わらないでその人が変わってしまいました。

――そのパターンが多いんですか?

中村 全部そうです。私がいままで知っている人は、ほぼ100パーセント。だから、私は個人を責めても仕方がないと思うんです。やはり、システムを変えていかないと……。

◼︎「普通に生きる」ための決心

――先生はなぜそうならなかったんでしょうか?

中村 私はそれができないので外れたんです。ここはプライベートですから、どこか権力あるところへ頭を下げにいく必要がないのがありがたいことです。

――たとえば、普通のサラリーマンであれば、それが会社だったりしますよね? そこで自分を変えざるをえないとしても、「じゃあ辞められるのか?」という問題になります。

中村 難しいかもしれないけれど、やっぱり自分のまわりの小さな世界を少しずつでも変えていくという決心をするしかないですね。私は決心だと思いますよ。

――決心ですか? 

中村 何もしないでのほほんと暮らしていて物事が変わるはずがないので、やっぱり変えていくという決心です。私はがむしゃらではないので、運が良くて自分の好きなことをしてこられました。だから、偉そうなことは言えません。でも、自分なりにある種の決心をしているんです。こういうことを言うのもなんですが、男の人は決心が下手ですね(笑)。

――下手かもしれないですね。

中村 やっぱり、女の人のほうが強いですね。

――何が違うんでしょうか? 

中村 わかりません(笑)。だけど、いまの世の中を見ていると、「ここで決心すればいいのになあ。私だったら決心するのに」と思うことがあるんです。でも、そうならない。「男の人は決心しにくい要素が多いのだろう」と思います。

――男性のほうが理屈っぽく、直観で動けないところがあるんじゃないでしょうか?

中村 いや、弱いんじゃないかしら(笑)。本当の意味の強さが足りないんじゃないですか? やっぱり、私はいまは「決心の時」だと思います。そして、その決心は何のためにかと言うと「普通に生きるため」です。とってもくだらないことのようですけれど、普通に生きるために決心をする時だというのが、いまの私の気持ちです。

――今回、それを一番伝えたいなって思いました。

中村 そんなことを決心するなんて、本当にバカみたいですね(笑)。だけど、それがいまだと思いますよ。決心をしなきゃあ。

――そのために背中を押してくれるのが、先生の本であったり、映画であったり……。

中村 そういう活動が少しでも増えてくるといいですよね。それは本当にそう思います。

◼︎決心した人はニコニコしている

――たとえば、宮沢賢治とか南方熊楠とか……、生きていた当時はあまり理解されていなかった異端の人たちが、いまの時代の我々に「普通」を教えてくれるような気がしています。

中村 彼らは、男の人だけど決心がありますよね。そういう人が(後世に)残るんじゃない?

――先生が映画のなかで出会った方々も、そういう雰囲気を持っておられるというか……。

中村 映画のなかに登場された方たちは、私が普段お世話になっている仲間ですが、ここで刊行してきた季刊誌でも、この20年ほどで百人近くの方と対談をしてきました。

――先生とおつきあいしている以上、同じ感覚を持っておられるということでしょうね。

中村 もちろんです。実際には百人どころか、もっと数え切れない出会いがありましたし、特に映画に出られているのは感覚も合い、お仕事も素晴らしいと思っている方々です。

――お話を伺って改めて感じたのですが、皆さん、決心をした人たちだったわけですよね?

中村 ええ。私はそういう人たちでないとお会いしたくないですから(笑)。

――その視点で見ると、研究の内容に興味があるなしにとどまらず、もっと違う何かが引き出せる気がします。もちろん、先生からも決心を感じとってもらえれば、変わる人もいると思います。

中村 そうですね。自分もできるなって思ってくださると嬉しいですね。おっしゃる通り、映画に出られた方たちなんかは、決心した人たちですからね。

――皆さん、生き方が美しかったり、清々しかったり、軽やかだったり……。

中村 新宮晋さんとか素敵でしょう?

――印象深いですね。あの「風のミュージアム」にもいちど行ってみたくて。

中村 いいですよ。新宮さんに限らず、みんなニコニコしながら、次々と新しいことをしていますよ。ああ、ニコニコしながらがいいんですね。たぶん、決心しているとニコニコできるんですよ。そうじゃないと、苦虫を噛み潰したような顔になるんだろうから。

◼︎日本の自然風土に根ざしたグローバル

――先生、これからの世の中を変える力を、日本人は持っているでしょうか?

中村 もちろんです。私は世界のなかで一番その力を持っているのが、日本人だと思います。

――とても心強いお言葉です。

中村 なぜかと言えば、欧米型の技術や経済システムをすべてしっかりと持っている、いわゆる先進国でしょう? そうでありながら、縄文時代から連綿と続く文化も失ってはいない。いま、欧米型のシステムに取って代われるものは東アジア、とりわけ日本のなかにあると思っています。

――欧米型の考え方もシステムも、日本人はもう十分に学習しましたよね(笑)。

中村 明治以来、十分にしましたね。その点は優等生です。それが本当にいい勉強だったかどうかは考え直さないといけないけれど、十分勉強してきました。しかも、心の底にはちゃんと縄文以来の日本の文化を持っています。私の考えでは、そうした文化のベースにあるのが日本の自然です。

――やっぱり自然なんですね。

中村 国土はアメリカやロシアみたいに大きくありませんが、海岸線はとても長くて、海が広い。だから、日本はとても広いんです。しかも、北緯30度くらいの、気候的にすばらしくいい場所に北海道から沖縄までが収まっていて、雪も降れば、珊瑚礁もある。世界じゅう探してもこんなに良い国はないですよ。この自然が私たちを育ててくれたんです。

――世界観が育みやすい風土なんですね。

中村 そう。だからそれを大事にして、この自然をちゃんと活かして世界に発信すればいいんです。本当の意味のグローバライゼーションをやるには、こうした風土のなかで培われた日本の考え方が必要だと思います。私はよく言うんですけれど、日本だとお蕎麦屋さんだって本家があったり、元祖があったりするじゃないですか?

――日本のその適当さがいいですよね(笑)。

中村 これからは、「あなたが本家なら、私は元祖よ」でやりましょうよ。アメリカとロシアもそんなふうにやってくれたらいいじゃないですか? 「こっちが本家でそちらは元祖だ」と競争しないで、どちらもしっかりやろうというふうになればいい。私たちがそういう考え方ができるのは、この日本の自然が作ってくれた恵みのようなものだと思います。

――風土的なエッセンスの賜物というか。

中村 そうです。本のなかでは哲学者の和辻哲郎さんのことも書きましたけど、大事なのはやっぱり「風土」ですよ。かつての日本は、「なあなあ」だったかもしれないけれど、その「なあなあ」が社会を支えていたでしょう? そういうとても恵まれた風土だったんです。あまり能力のない人たちが「なあなあ」をやるととんでもないことになりますが、日本人は精神的にも知的にも能力が高かったから、ある種の「なあなあ」で上手くいっていたんです。

――「和」の文化でやれていたんですね。

中村 もちろん、そのなかに変な「なあなあ」があるといけないから約束事も作られ、少しずつ変化して行くことも大事でしたよ。だけど、あんなにも急激に変える必要はなかったはずです。

――抽象化された「自然環境」ではなく、具体的に感じとれる自然が「風土」ということですよね。環境との関わりを「問題」としてとらえるのではなく、もっと主体的に感じるには……。

中村 それにはね、東京に一極集中なんてしてちゃあダメです。北海道から沖縄までみんなが万遍なく住んで、その土地ごとの素晴らしさを活かして、世界観をつくっていくんです。

――それを密画の世界と重ね描く……日常と仕事をもっとつなげていきたいですね。

中村 そう、だから高層マンションなんて建てていてはダメなんですよ(笑)。やっぱり普通に生きることを大事にしていかないと。私もそうしたことを、これから伝えていきたいと思っています。(おわり)

(第1回はこちら)

◎中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年、同館の館長に就任、現在に至る。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの 国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。http://www.brh.co.jp