「オスとメスが生じる前に、有性生殖の起源があったと考えています」(高木由臣インタビュー②)
生物は、細胞分裂するだけのバクテリアのような生き物と、たくさんの細胞から成り立ち、有性生殖をして子孫を残す大型生物に大きく分けられます。
前者は原核生物、後者は真核生物と呼ばれますが、存在のしかたがまったく違っています。
真核生物の末裔である僕たちからすれば当たり前の……時間とともに老いて死ぬこと。寿命があること。オスとメスが出会って子孫を残すこと。
目に見えない小さな生き物たちは、こうした時間軸によって成り立つ世界とはかけ離れた場所で繁栄をつづけ、僕たちの生存に様々な影響を与えてきました。
時間のない世界と時間のある世界が重なり合い、たがいに影響を与えながら存在しているこの世界の不思議なありようを、どう解いたらいいのか?
時間とは? 寿命とは? 生殖とは?
ゾウリムシの研究を通じて、《生老死の謎》を追いかけてきた高木由臣さんを京都に訪ね、生命の進化にまつわるお話をじっくりと伺いました。 今回はその後編。
不死でないことの証明
——高木さんは、ゾウリムシを通じて生物の寿命について研究されてきましたね。
高木 寿命の研究というのは、本当に大変なんですよ。1954年に、T・M・ソネボーンがオートガミーを発見することで、不死だと思われてきたゾウリムシにも分裂限界があることが明らかになったのですが、別種のゾウリムシでは寿命はないという論文があって……。
——ロシアの研究者の話ですよね?
高木 そう。私が奈良女子大の助教授として赴任した時、研究室に入ってきた学生の一人が、その論文の追試をしたいと希望してきたんです。
彼女の希望を受け入れ、実験を始めたのはよかったのですが、結局、そのゾウリムシにも寿命があることを確かめ、論文にして発表するまで4年の歳月がかかりました。
——ソネボーン説が別種のゾウリムシでも裏付けられたわけですね。 それって、ヒトの細胞分裂には限界があるという「ヘイフリック限界」が世に出る前のことですよね。
高木 ええ。ですから私は、ヘイフリック限界ではなく、「ソネボーン限界」と呼ばれるべきだと、つねづね思ってきました。
——高木さんの恩師に当たる三宅章雄先生は、ソネボーンさんの研究に関わっておられたと聞いていますが……。
高木 三宅さんが関わっていたのは、オートガミーではなく、先ほどお話しした同系交配です。
通常、ゾウリムシは異性どうしが出会わなければ接合しませんが、彼は大学の助手時代、一方の集団を塩化カリウム溶液(KCl)に浸すだけでクローン内接合を誘導できるという大発見をして、ソネボーンさんを驚かせたのです。
じつはこれ、酸で処理すれば分化した細胞が万能性細胞に初期化できるというSTAP細胞の話と同じなんです。塩化カリウムによってゾウリムシの同性どうしの接合が起こり初期化されるということは、若返るということですから。
だから、例の論文が『Nature』に発表された時、私は「これはもう50年以上前にゾウリムシでわかっているんですよ」と興奮しました。世間は酸の処理というあまりに簡単な方法で初期化されることに驚いたわけですが、私は三宅さんの発見が思い浮かんだんですね。 まあ、あんなフェイクな話になるとは思いませんでしたが……。
——でも、可能性はあり得るわけですよね?
高木 ありえるんですよ。iPS細胞にしてもそうじゃないですか、百歳以上の老人の細胞でも初期化できるというわけですから。
老人の細胞なんて、それまでのイメージからしたら、老いぼれてダメになった細胞にすぎませんが、そんな細胞も初期化できるということは、抑制されているだけで基本的なところは壊れていないということです。
——iPS細胞は、体細胞にたった4つの遺伝子を加えることで初期化させたわけですよね?
高木 iPS細胞については、個体発生のプロセスは抑制系なんだということを教えてくれた発見だったと思いますね。
——なるほど。分化の過程で細胞の万能性が抑制されていくということですね。
高木 ええ。その意味では、iPS細胞は抑制解除系だと言えるでしょう。
個体発生は老化、死に向かう不可逆的なものですが、通常は有性生殖によって受精卵に回帰できる過程が用意されています。
iPS細胞は、こうした仕組みを部分的に模倣したものだと言ってもいいでしょう。画期的な発見だったことは言うまでもありませんが、受精卵の万能性とは比べるべくもありません。
ガンも長寿も「抑制系の解除」
——本来、体細胞は老化、死に向かっていくのが当たり前ですが、それを人為的にリセットし、若返らせているということですね。
高木 ええ。ただ、抑制解除ということで言えば、ガン化も当てはまります。抑制した細胞を勝手に解除して暴れ出しているわけですから。iPS細胞がガン化のリスクを抱えているのも、抑制を解除するからだと言えますね。
——「ガンは先祖返りである」という言い方もされていますが……。
高木 抑制が解除され、もとの状態に戻るという意味では、そう言っていいでしょう。
——細胞には、本来、ヒトをゾウのサイズどころか地球サイズにしてしまうくらいの分裂のポテンシャルが宿っている、それを高木さんは「いのちの基本は暴走性」と呼び、放置するのはまずいから抑制をかけたと書かれていますね。
高木 そう。そうした抑制システムができているのに、ガン細胞という勝手なやつができて、システムを壊していると(笑)。
——そう言えば寿命についても、抑制が関与していると書かれていましたが……。
高木 生物の寿命というものは、本来、長生きしないよう抑制する遺伝子が働いている状態にあるようなのです。実際、その遺伝子を人為的に壊すことで寿命が延びたという例が、いくつかの生物で報告されています。
——ガンはわかりますが、対極にありそうな長寿も、抑制解除の結果というのは面白いですね。不老不死の願望が消えないのはわかる気がしますが、 結果として得られるのはガン化のような……。
高木 ええ。せっかく老死による寿命という抑制システムを獲得したのに……。
——余計に生きようと頑張ってしまって(笑)。
高木 だから、私はアンチエイジングには賛同しないわけ(笑)。
——それは、自然な営みではないから?
高木 進化の産物である老死に、「アンチ」を唱えることに抵抗を覚えるのです。もちろん、寿命の限界まで健康に生きたいという思いを否定するわけではありませんが。
——人工的に抑制系を解除するのは、なんだか科学の実験に近いですよね。病院が実験室みたいになっていて(笑)。
高木 そう、そんな感じです。
般若心経と進化論のつながり
——抑制系の進化って生きる知恵だと思うんですが、ヒトは脳の抑制が解除されることで、自然そのものから逸脱してしまった感もあります。
万物の霊長という言い方もありますが、高木さんはヒトという存在をどうとらえていますか?
高木 ちょっと難しい質問ですね。まあ、万物の霊長という感じはしませんが……。
——進化の果てにここまでたどり着いたというとらえ方も根強いですよね?
高木 進化のレベルというのは、すべての生物が38億年かけたおなじ歴史を持っているわけです。みんな頂点に立っているんですね。
一般にはバクテリアや原生生物が下等であるかのように思われていますが、おなじヒストリーを持って生きているわけです。
——ヒトよりも存在が下みたいなイメージって、確かにありますよね。
高木 ゾウリムシ、バクテリア、ヒトという三者関係のなかで研究してきたからかもしれませんが、私にはそういう思いは不思議とないですね。時間的な距離はみなおなじで、みな共通のオリジンを持っている、おなじオリジンにさかのぼれるという視点が必要でしょう。
——高木さんは、著書(『生老死の進化』)のなかで、般若心経についても取り上げていますね、それも科学者の視点で。
高木 私は仏教的な知識がまったくないので、おっしゃるように完全に科学者の視点での「解釈」に過ぎませんが……。
——宗教と科学を融合しようとか、そういう意図のないところが面白いというか(笑)。
高木 そういう意識はないですねが、般若心経をたどっていくと進化論とおなじようなところに行き着くように感じました。ダーウィンは自らの説を「変化を伴う継承の理論」と呼んでいますが、「すべての生命はつながっている」という基本認識が共通していると思いますね。
——高木さんは、般若心経のどのあたりに解釈のポイントを置かれたんですか?
高木 中ほどにある「無老死亦無老死尽」という箇所ですね。私自身、老死ということをずっと追ってきましたが、般若心経では「老死なんてない」「死に尽くすことはない」と言っている。
老死は不可避であるという生物学の認識とは矛盾しますが、「老死のない時間的、空間的位相がある」と相対的にとらえると、「不生不滅」(=生まれることがなければ、死ぬこともない)という箇所とも対応することがわかります。
——この世界のあらゆる現象を、相対的にとらえているということですね。
高木 空を仰ぐと青空がある。雲が出ると青空がなく、夜の空にも青空がない。……つまり、青空があるのも事実、ないのも事実、星空があるのも事実、ないのも事実。
この世の現象はあり続けることはありえず、「ある」と「ない」がたえず位相を変えながら存在のしかたを変化させているわけです。
——フローというか、かっちりこうだと言えないところに本質がありそうですね。しかし、最後にこういう話になるとは(笑)。
高木 「般若心経と進化論」については私の遊びみたいなもので、本では取り上げられないだろうと思っていたんですが、編集者が最後に入れてくれて嬉しかったですね。
今日は気持ち良く話をさせてもらって、楽しかったですよ。 (おわり)
↓前編はこちらをご覧ください。
★「生物の大型化、多細胞化には『抑制系の進化』が関わっています」(高木由臣インタビュー①)
◎高木由臣 Yoshiomi Takagi
1941年、徳島県生まれ。理学博士。専攻は発生遺伝学、細胞生物学。静岡大学卒業。京都大学大学院理学研究科修士課程修了。同博士課程中退後、京都府立医科大学助手・講師。1975年、奈良女子大学助教授に就任、教授、理学部長を経て、2005年定年退職。奈良女子大学名誉教授。ゾウリムシの生活史研究を足場に、生物における寿命や、死の進化的意義、有性生殖の起源などを探求してきた。
著書に、『生物の寿命と細胞の寿命〜ゾウリムシの視点から』(平凡社)、『寿命論〜細胞から「生命」を考える』『有性生殖論〜「性」と「死」はなぜ生まれたのか』(ともにNHK出版)、『生老死の進化〜生物の「寿命」はなぜ生まれたか』(京都大学学術出版会)などがある。
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