「工場のプロセスも、最後は『好き嫌い』が問われてきますね」(金尚弘インタビュー①)

この世界にあるものをわかりやすく分類し、そのデータを数字に換えてシェアすること。過去数百年にわたり、科学の分野ではそうした方法論を駆使することで、さまざまな成果を挙げてきました。

AIの普及はその究極系とも言えますが、データですべてが語れるわけではもちろんありません。ビッグデータの活用が進み、AIによる自動化が進む時流のなか、システム工学の若き研究者である金尚弘さんが着目するのは、人の身体に内在する意識の働き。

人と工場、身体と機械、さらには感情とデータ……対極にあるかのように思えるこの二つの世界をつなげることで、いったい何が見えてくるのか? 普段あまり語られることのない、生物(人)と非生物(機械)の見えざる境界……。その壁を注意深く取り払っていくと、無機質な機械の向こうにひょっこり人の姿が浮かんでくるような……。あるいは、それも幻影かのような……。

2018年12月、「骨ストレッチ」を実践されている金さんと、久しぶりに京都で再会。彼の専門分野に分け入った、ちょっとふしぎな対話をお届けしましょう。

工場というシステムを管理する

長沼 工場というのは、それ自体が一つの大きなシステムですよね?

 ええ。「原料が入ってきて、製品が出ていく」という大きなシステムと思ってもらっていいと思います。人間の身体を「ごはんを食べて排出物を出すシステム」ととらえるのと同じですね。

長沼 人間では「代謝」と呼びますが、そうした入れて出す工場のプロセスが問題なく進むよう、研究に取り組まれている?

 そうです。たとえば、更地に工場を建てる場合、まず「入と出」が決まっていて、そのためにどういう設備にしなければいけないかを考えます。それにはどんな大きさの設備や材料が必要か、温度管理をしたり、コスト計算、安全運転を保つためのデザイン方法を考えたり……。

長沼 そこも関与されているんですか? 設計自体は設計士さんがするんですよね?

 工場を建てるには、コンストラクション(建設)と化学工学の両方が必要なんです。「どんな反応がどれくらい起こるか?」という化学の話は設計士さんにはわからないですから。

長沼 入口と出口という言い方をされましたが、それは「原料と製品」ということ?

 ええ。たとえば、中東から石油を買ってきて、ガソリンとその他の製品を作るとします。それをどのくらいの施設でどのくらい作れば利益がちゃんと出るのかなどの計算をして、それに見合う設計を考えたりするわけです。

プロセスを建設し、運転するとたくさんのデータが収集できるので、それを見て、安定的に運転されているか、状態が良いか悪いかを自動的に判定する方法を開発したりしています。

長沼 一番注力されている部分はどこなんですか?

 具体的な事例としては、不良品ができてしまう原因をつきとめたり、データに基づいて状態を予測したり、挙動がどうなっているかを数式化したり……。基本的には、データをうまく使って何かをしていくことが多いですね。

長沼 そういう異常は、データに現れ得るものなんですか?

 「現れ得る」という前提のもとにやっていますね。設計する時も、センサーを取り付ける場所や個数は当てずっぽうな面もあるんですが、「こういう反応にはこの温度が大切」とか「ここでは温度を測らないといけない」などの知見はあるので、基本的にはそれに基づいています。

でも、多くの種類のデータが高頻度に得られるので、工場に詳しい人でも、どこに異常が現れているかがわからない場合があります。

解析というとAIが全自動でやってくれるイメージがありますが、それほど万能なわけではないので、それを現場でどう活かすか? 現場と機械の間の通訳のような役割もありますね。

長沼 人と機械の通訳ですか?

 データ解析の方法は詳しいですが、それだけでは現実は変えられないことがいっぱいあるので。

長沼 そうやって解を導き出すというのは、工学の分野全般に言えること?

 そうですね。たとえば、将棋にも「こういう状況から始めてこうなったら勝ち」というルールがありますが、どうしてそうなるかという情報を与えなくても、コンピューターが勝手に学習して名人に勝ったりしますよね。そういう感じのことを、工場を相手にやっているわけです。

長沼 機械に自分が将棋をやっているという認知はなくても、将棋としてのプロセスは成立してしまうということですね。

 ええ。現場に解析した結果を提出する時も同じなんです。将棋でも、プロ棋士が見ても変な一手が、よくよく見ると良い手だったりしますが、それって説明が最初はつかないじゃないですか。でも、後々になってわかったりすることがありますよね? それと同じことを工場の改善を目的に行っていると思ってもらえたらいいと思います。

最後には「好き嫌い」が問われてくる

長沼 研究者になられた段階で、デジタル化された環境だったわけですよね?

 そうですね。

長沼 デジタルと言うと、職人的世界の対極に向かっていくようなイメージがあると思いますが、そこにも人の感情や意識が介在すると思うんです。相手が機械だからといって機械的に対処すればいいわけではないという……。

 極論を言うと、僕は「好き嫌い」だと思っているんですけど(笑)。

長沼 何に対する「好き嫌い」?

 (研究者である)自分自身の好き嫌いですね。たとえば、食べ物だったらキュウリは嫌い、海老フライは好きみたいな……そういう感情レベルの話と、他の人や社会との価値観の共有点を探すことが大切なのかなと思っています。

長沼 工場を動かすのにも?

 ええ。たとえば、工場からもらったデータを見て無機質に話をしても、現場の人は「現場でやっている感覚」みたいなことで話されたりしますから、それらがクロスしないと現実はよくなりませんよね? だからこちらが好き、あちらが好きのどちらでもいいと思いますが、人とクロスできる部分を探すことがまず大事になります。

長沼 それはわかる気がします。

 ただ、「好き嫌い」といった場合、こちら側の「好き」から始まっている感じなんです。この10年くらい、「データを出せ、何とかしてやる!」みたいな感じで、究極的には「こちら側だけでも何とかなるだろう!」と自分の関わる世界を広げてきましたが、向こう側がゼロになることはない。好き嫌いが最後には残ってくる。

長沼  現場の好き嫌いが?

 はい。自分の好きな部分を追求するほど、できていないことが見えてくる感じですね。

長沼 データを突き詰めていっても、成り立たない何かがあるという?

 原理的にできないことがわかってくると、逆に「好き嫌い」みたいな部分も大事にしないといけないんじゃないかと感じますよね。

 それが実際にどういう形になるかはわからないですが、そうしたことを考えたうえで数字に触れると、おもしろいことが見えてきます。

長沼 以前、SNSでやりとりした際、「感情論的に方法論を研究する」という、ちょっと変わった言い方をされていましたね。

 そうです。

長沼 工場には機械だけでなく人もいますから、トータルで円滑に進まないと良い結果が出ない、ということはわかります。でも、それをすり合わせようとしても、最後の最後にどうしても謎の部分が出てくるみたいな?

 そうですね。何だかわからないことはあると思いますよね。このあたりは難しくて、誰も本当の答えは知らないというか……。

長沼 そこが面白い部分でもあると?

 そうだと思います。

「これにする!」と決める瞬間

長沼 どんな分野でも、うまくいく時といかない時があるじゃないですか。すべて理屈通りにはいかない以上、埋め切れない何かをつかんでいる状態、「暗黙知」と呼べるようなものを現場と共有することが大きいと思うんです。


 それはあると思います。研究の方針を決めたりテーマを選んだりする時も、極論を言うと「好き嫌い」で選んでいると思うんですね。

予算をもらわないといけない場面で「この研究がなぜ必要なのか?」と必要性や重要性を説明できますが、突き詰めると「好き」ということに戻る人が多いんじゃないかと思います。

長沼 好きが動機だと。

 「儲かるから」なんて理由もあるかもしれないですが、それにもテーマはいろいろとあり、解決へのアプローチ方法にも好きな方法と嫌いな方法が絶対にあるわけです。

長沼 その人なりの個性が反映される?

 そうですね。得意なことという理由も多いですし、なかには新しいことはやりたくない人もいるかもしれません。

だけど、絶対に「好き嫌い」はあると思います。課題の解決方法を探し出すと一番早い、一番安い、一番地球環境に優しいなど出てきますが、全部試す時間なんてもちろんないですから、「これにする!」と決める瞬間には必ず「好き嫌い」を使っていると思いますよね。

長沼 それってセンスと言い換えてもいいものかもしれません。ただ、研究を通じてセンスが培われるかはわからないし、それは持って生まれたものかもしれないですよね? 指導を受けた先生の影響もあるかもしれませんし、これはなかなかマニュアル化できないところですね。

 だと思います。

長沼 論理や思考はもちろん大事ですが、この感覚が失われると、いくら正しいことでもうまくいかない……それは人間関係だけじゃなく、きっと機械も同じだろうって感じるんです。人間性とはかけ離れたように見えるオートマチックな世界でも、感覚が大切な点は同じなのかなと。

 それはあると思います。証明しろといわれたら難しいですが(笑)、そんなものがあるんじゃないかなと思いますね。

長沼 どうしてこういう質問をするかというと、もっと古い時代、職人の技術はものもすごく大切にされてきましたよね?

イミテーションは誰でも作れるけれど、本物とは必ず違うと。では、その鑑定を誰ができるんだっていう話になるんですが、明らかに「違いがわかる人」がいたと思うんです。

実際、その感覚を持っている者どうしで会話したほうが楽しいでしょう?

 おっしゃる通り、(科学の分野でも)感覚みたいなものでかなりの部分が動いているというのはあると思います。たぶん、研究者はそれを隠しているというか、認めないかもしれないですが(笑)、でも実際に使っていますよね。

長沼 金先生はどうですか?

 僕は、データ解析で言えば、まず方法論を作るんです。誰がやっても同じようにできる方法ですが、それを作るとなると、「自分がなぜこういう意思決定をしたのか?」がつねに問われます。属人的なところを排除して「誰がやってもできる」ものをめざすと、僕の個性が入った決定は許されないんです。個人を排除しないといけない。

要は、「客観的に決められるのはなぜ? 何に基づいているの?」みたいな点をつねに自分に問うような研究分野なんですが……。

長沼 面白いですね。個性をどこまでも排除していくことを自分に問うという。

 で、そうやって遡っていくと「好き嫌い」が残っちゃったみたいな(笑)。

長沼 個性を排除していった先に、排除できないものが残ったという感じですかね。

ただ、その好き嫌いには、一人よがりが許されない以上、普遍性が必要ですよね。科学の法則とは違った感覚的な普遍性が……。

 必要だと思いますね。少なくとも自分の「好き嫌いはここです」と提示しないと、他人も僕との共有部分がわからない。だから、そこは研究理由を作文にするのと真逆のことから始めないといけないのだと思います。

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★「データを突き詰めていくことで「感覚」の大切さがわかってきました」(金尚弘インタビュー②)

取材協力:野口久美子

◎金尚弘 Sanghong KIM

1986年、大阪市生まれ。2005年、京都大学工学部入学。2014年、京都大学工学部博士課程修了、同年4月、京都大学工学研究科化学工学専攻プロセスシステム工学研究室助教に就任。化学、製薬、半導体など様々な製造プロセスから得られるデータを解析、製造効率を改善するための方法論を開発し、社会に応用してきた。2016年、人間の運動機能の改善や動作分析の研究を開始。日本の古武術をベースにした身体技法「骨ストレッチ」の創始者である松村卓氏とともに、「WT-LINE®シューズ」の開発に取り組むなど、AI、ビッグデータ、IoT(Internet of Things)に注目が集まる時流にとらわれず、自由な発想に基づいた研究に従事している。計測自動制御学会技術賞など、受賞歴多数。2021年、東京農工大学工学研究院 応用化学部門准教授に就任。