「こんなものが歴史じゃないだろうという思いを、ずっと持ち続けてきました」(栗本慎一郎インタビュー1-①)

脳梗塞からの復帰以来、『 パンツを脱いだサル』(2005年)、『シリウスの都 飛鳥』(同)、『シルクロードの経済人類学』(2007年)と、人類の歴史の新しい視座を精力的に提示してきた栗本慎一郎氏が、今回、その一つの集大成として、南シベリア~メソポタミアから始まったユーラシアの歴史全体を俯瞰する意欲作、『ゆがめられた地球文明の歴史~「パンツをはいたサル」に起きた世界史の真実』(技術評論社)を刊行。「ここに書かれていることが人類の歩みの真実であり、この地上に起こった本当のことです」と語る著者は、この一冊を通じて読者に何を伝えたいと思っているのか? そこで提示されるこれまでの歴史とは一線を画する世界観とはどんなものなのか? 著書の刊行を記念して、今回から3回にわたってロングインタビューをお届けします(長沼敬憲)。

「西洋史、東洋史、日本史はすべて有機的につながっている」

——僕自身、歴史はずっと好きだったんですけれど、学校教育では日本史と世界史に分かれていますよね。どちらを選んでも「世界の中の日本」という位置付けが希薄になるというか、見失われてしまうところがずっと違和感としてありました。

今回出版された『ゆがめられた地球文明の歴史』(技術評論社)には、そうした違和感に応えてくれるエッセンスがたくさん詰まっているように感じます。

栗本:詰まっていると思いますよ。でも、世界の中の日本だけじゃなく、世界の中のアジアが基本ですよ。世界の中の日本なんていう捉え方をあえてする必要はない。この本でも言っていますが、西洋史、東洋史、日本史が全部有機的につながっているんです。

——従来の歴史にはこのつながっている感がないですよね? すべてバラバラに捉えられていて、その結果、見えなくなっているものがあまりにも大きかったんじゃないかと。

栗本:大きいですよ。ほとんどの歴史はバラバラに書いてあるんです。ある地域の、ある分野の専門家がいて、別のところは別の専門家がいて、2つはつながっていない。

もともと僕は、子供の頃から、最低でも高校生くらいの頃から「こんなものが歴史じゃないだろう」という感覚があったわけですが、明治大学の教授になって、世界史の問題を作る責任者になった時、高校の教科書を全部読んだんですね。

その時感じたのは、「こんな本を読んでいたら、世界の歴史をつかまえることはできないだろう」ということ。その思いはいまも変わりません。

——先生の本には、歴史が好きな人も知らないような国の名前がいっぱい出てきますよね。

栗本:重要なものとして出てくるでしょう?

——はい。たとえば、パルティアもそうですし、カザールも、キメク汗国もそう。パルティアについては歴史の教科書、参考書にも多少は載っていますけど、位置付けとして軽く扱われていますよね。

栗本:そう、軽いですよ。超軽い。

——カザール帝国も、同じかもっとそれ以上にベールに包まれている。

栗本:カザールなんか政治的に無視しようとしている連中がいるからね。

——後ほど詳しく伺いますが(第2回に掲載)、それはいわゆるユダヤのことですね。自分たちの本当のルーツを知られたくないということで、故意に無視されてきたという……。

栗本:そうです。

——キメク汗国に関しては、海外の場合は別なんでしょうが、日本語のインターネットで検索してもほとんど何も出てこないですよね。だから国内で普通に読書する人たちが情報を集めようと思ってもまったく上ってこない。

栗本:キメク汗国はね、ロシア語とかアルメニア語圏では割合と知られている国なんですよ。ただ、ゲルマン人が無視した。日本のいまの歴史学は西洋のゲルマン史学がもとになっているから、余計にわからない。

このキメク汗国の存在がわからなかったら、東洋と西洋の本当のつながりはわからないです。だからすべてがわからないままになっている。

——東洋と西洋のつながりという言葉はよく使われますが、一般的にはせいぜいシルクロードのようなものを指しているわけですよね。先生の本を読んだ後にこうした「通説」を振り返るとすごい陳腐に感じてしまうというか……。

栗本:いや、非常に悪いけど、正確な表現は陳腐というより「馬鹿」でしょう。事実を言えば、「シルクロードはなかった」というのが正しいんですが、仮にあると見なしたとしても、それは決して中心の道じゃないんです。

もちろん、シルクロードから派生していたとされている草原の道も中心ではありません。そうではなく、東洋と西洋をつなぐ文字通りの草原の道があったわけで、こちらが本当の中心の道なんです。これはもう紀元前から続いていた話で、キメク汗国もそこにあったわけですから。

「問題は歴史家の頭が悪かった、それだけでしょう」

——シルクロードに関しては、NHKの番組で有名になりましたが、あれはNHKが中国を取材申請の窓口にすることで番組として成立できたんですよね?

であれば、中国側の意図にある程度沿う形で放送されていたと考えたほうが自然なんだろうなと思います。

栗本:そうです。NHKにも中国の歴史物を専門とする人たちがいるわけですが、私が見るかぎり彼らはほとんど勉強をしていない。根本的な知識が欠落したままで、中国政府に協力を求めている。

——うーん。日本人は海外から取り入れたものをそのまま、無批判で取り入れてしまうところがありますね。それは何か日本人のメンタリティがベースにあるんでしょうか?

栗本:日本人のということじゃないと思いますね。歴史家の頭が悪かった、それだけでしょう。あるいは歴史を真剣に考えていない。そういうことですよ。

――日本の歴史学というのは、戦後の50〜60年で構築されてきた面が強いと思います。そこに携わった人たちが先生のような視点を持ったり、探求したりしなかったということなんでしょうか?

栗本:第二次世界大戦に至るまでは、結構、日本の学者も研究してるんです。ただ、そこでも陸軍が介入してゆがめられたところがある。その歴史を戦後の左翼がそのまま受け継いだわけです。

――陸軍が関与して作られた歴史を、対極にいた左翼が受け継いだわけですか。そうやって、教科書で学んできたような通説としての歴史が作られていったのだと……。

栗本:もともと陸軍の宣伝工作の一環として、日本から朝鮮、満州へと歴史が広がっていったかのような物語が作られ、それを侵略のための土台としたのです。当時のジャーナリストたちも、その歴史を無批判で喧伝した。

――それが、いわゆる皇国史観の土台にもなったということですね。

栗本:そう。戦後はその価値観がただひっくり返っただけ。どっちが偉いかという基準が、日本から朝鮮半島、中国のほうへ移った。ネガがポジに変わっただけで、陸軍が作り出した構造自体は受け継がれたのです。

左翼は戦前の皇国史観の批判をしていましたが、同じ構造のなかで歴史を捉えているという現実には気づけませんでした。東洋と西洋を一つにつなげるというような歴史観が見いだせなかったのも当然でしょう。

――そうした戦後の歴史観が形成されていくなかで僕が特に強く感じるのは、やはり司馬遼太郎さんの影響です。

栗本:彼も最悪だと思います。いつの頃か忘れましたが、最初に彼の書いたものを読んだ時、違和感というか恐怖感をおぼえましたね。ただ、それをあまり人には言えなかった。

ビートルズの場合と同じで、そういう批判がしにくい空気があったわけですが、その後分析してわかってきたのは、彼もまた陸軍が作った歴史をただ踏襲し、それを焼き直しているだけだということです。

――司馬さん自身は、軍とか戦争、軍隊にかなり拒絶反応を持っていましたが……。

栗本:いや、実際問題、彼はそれを通じて歴史に関心を持ったんですよ。司馬遼太郎の個人史なんか関心はないけれど、絶対にそうです。それを次に自分の商売にしようとしたの。ただそれだけのことです。

私が言えることは、彼は人が持っている支配欲のようなものを前提にして、そこに価値を置いて歴史を見ているということです。

――なるほど。こうした点と関係があるかわかりませんが、僕が印象的だなと思ったのは、司馬遼太郎というのはペンネームです。あれは司馬遷から取っているらしいんですね。「司馬遷には遼(はる)かに及ばない」という意味で「遼」という字を付けたと言われています。

栗本:要するに司馬遷と陸軍でしょう。こういうものから作られた歴史を、文春やNHK、朝日がいいと言って、商売としても成功したということです。馬鹿げていますよ。

本にも書きましたが、シルクロードを広めたリヒトホーフェンや、ヘディンの「さまよえる湖」ってあるでしょう。彼らの政治的成功と構造が似ていますね。

でも皆、間違いです。頭からおかしいです。最初は生理的に信用できないなと思っていただけですが、いまは内容的にも信用していないです。堺屋太一の言っていることとかも、皆そう。同じ構造です。

「司馬史観がどうこうなんてこと、問題にする気にもならない」

――戦後の一つの空気のなかで、こうしたものがもてはやされたというか。

栗本:そう。結局、もてはやした人も問題ですが、さかのぼればみな陸軍の影響ですよ。だから満州の捉え方にしても根本を間違えてしまう。

――先ほどおっしゃったように、陸軍が作り出した歴史をベースにして、受け継いで?

栗本:ちょっとそれを手直しをして、商売にしたというだけ。だから「司馬史観」なんて言っている人がいるけど、とんでもない、何もないですよ。

――彼は最初は忍者の話とか、大衆小説家としてデビューしたと思うんですね。それがだんだん文化人というか、知識人のようになってきましたよね。その過程で「司馬史観」と言われているようなものが、一般の人にも広まるようになって、それはかなり影響を与えていると思うんですよね。学校の教科書で飽き足りない人が司馬遼太郎を読むようになるとかですね。僕もそうでしたけど……。

――彼は最初は忍者の話とか、大衆小説家としてデビューしたと思うんですね。それがだんだん文化人というか、知識人のようになってきましたよね。その過程で「司馬史観」と言われているようなものが、一般の人にも広まるようになって、それはかなり影響を与えていると思うんですよね。

栗本:やめてもらいたいね。私が高校の教科書が駄目だと思ったのと同じレベルで、いや、もっとハッキリと「こういうものじゃないだろう!」と言いたいですね。

司馬史観がどうこうなんてこと、問題にする気にもならない。こんなものは空気です、単なる。この話はやめましょう。

――はい。大元の司馬遷の『史記』に関しては、匈奴のように北方遊牧民の国をわざわざ差別語を使って貶めているところがありますよね。後代の突厥や鮮卑などもそうだと思いますが、実はこうした漢民族によって貶められた国々のほうがはるかに強大で、イニシアティブを取ってきたのが実態だったという……。

栗本:そうです、それは間違いないです。彼らのほうがずっと強かった。漢民族のほうが従属していたんです。

そもそも、匈奴は「キォンヌ」で、突厥は「チュルク」というのが、本当は正しい発音です。今回の本では、読者が混乱しないように蔑称のほうも一応使ってはいますが、本当は使うべきじゃないんです。

――そのへんも、中国人が勝手に作ったものを無批判で使っているだけというか。


栗本:そう。一つ面白い話をすると、産経新聞に(歴史学者の)岡田英弘さんの書評を書いたんですが、彼は漢民族の歴史について相当批判をしている。

漢民族なんて本当は存在しなかった、政治的にそう名づけられたものに過ぎない。いわゆる民俗学的な、人類学の対象になるような民族じゃないんだぞと。

そこまでハッキリ言っておきながら、「匈奴」とか「突厥」という言葉は使っている。要するに、(司馬遷のような)中国の官製歴史家の言っていることをそのまま踏襲しているんです。だから、書評ではそれはおかしい、やめたほうがいいのではないですかと言ったんです。


――岡田さんはユーラシアの視点で歴史を捉えられている立場の方ですよね。にもかかわらず、まだそういう抜け出ていない部分もある?


栗本:本当の意味では捉えられてないんですよ。(彼が専門とする)モンゴルに対して失礼じゃないか、というところから始まっている話なの。

確かにそれは失礼なんですよ。だけどモンゴルが西のほうに広がったり、西から影響を受けたりということについては、総合的にもうちょっと勉強すべきですよ。反中国史しか書けないという意味です。


――なるほど。まだ全体を捉えられていない?

栗本:そういう視点もないと思いますね。

↓続きはこちらをご覧ください。

★「ヒントを得るのは構いませんが、答えは求めるな。自分で考えろと言いたい」(栗本慎一郎インタビュー②)

◎栗本慎一郎 Shinichiro Kurimoto

 
1941年、東京生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。奈良県立短期大学、ノースウエスタン大学客員教授、明治大学法学部教授を経て衆議院議員を二期務める。1999年、脳梗塞に倒れるも復帰し、東京農業大学教授を経て、現在有明教育芸術短期大学学長。著書に『経済人類学』(東洋経済新報社)、『幻想としての経済』(青土社)、『パンツをはいたサル』(光文社)、歴史に関する近著として『パンツを脱いだサル』(現代書館)、『シリウスの都飛鳥』(たちばな出版)『シルクロードの経済人類学』(東京農業大学出版会)、『ゆがめられた地球文明の歴史』『栗本慎一郎の全世界史』(技術評論社)など。