光岡知足先生のこと

腸内細菌学の世界的なパイオニアであり、
セルフメンテナンス協会の腸活プログラムの監修にもご尽力いただいた
光岡知足先生(東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員)が、
2020年12月29日、逝去されました。

享年90歳、大往生だったのではと思います。

僕はエディターとして、この10年ほどの間に、光岡先生の本を3冊手がけ、
幾度かロングインタビューをさせていただいたこともあり、
訃報に接し、様々な思い出が浮かび上がってきました。

以下、少し時間がかかってしまいましたが。。。
先生との思い出、学んだことなどを記録として書き綴っていきたいと思います。

光岡先生と最後に言葉を交わしたのは、去年(2020年)11月末のことでした。

12月に刊行される僕の本(『フードジャーニー
〜食べて生きて、旅をして、私たちは「日本人」になった』

の推薦をいただいたこともあり、
できあがった表紙や帯を事前にお送りし、
電話で簡単なやりとりをさせていただきました。

その時、いつもより元気がないご様子で。。。
胸のあたりがざわついたのをおぼえています。

振り返ると、最初の本
「人の健康は腸内細菌で決まる!」技術評論社)
を手がけたのが2010年。
出版社の企画が通り、「あの光岡先生の本に携われるのか〜」と
ちょっとドキドキしながらご自宅のある千葉県の市川市へ赴き。。。
あんみつをご馳走になりながら、
いろいろなお話を伺ったのが思い出されます。

この時、すでに現役を引退され、ご年齢は80歳にならんとする頃。
にもかかわらず、足腰はしっかりされ、記憶力は抜群。
若い僕の質問に対しても同じ目線で、
ゆっくりお答えになっていたのが印象に残っています。

光岡先生はすでに『腸内細菌の話』
『健康長寿のための食生活』(ともに岩波書店)という本を書かれており、

「重要なことはすべてここで語っています。
ただ、研究者として私の歩みや学んできたことを振り返り、本にするのはいいことです」

と話されました。書籍としては、
腸内細菌と食事や健康の関わりが中心になるのは当然ですが、
僕自身、腸内細菌学を樹立させた
研究者としての光岡先生に興味がありました。

「先生のバックボーンの部分の比重をなるべく増やします」

そう約束し、書籍の制作に取りかかりました。
実際、お話を伺っていくなかで、
「未知の分野を切り拓くパイオニアとはこういう方のことを言うのか」
と、何度も驚かされました。

光岡先生が、それまでまったく陽の当たっていなかった
「腸内細菌」をテーマに据え、独力で研究を始められたのは、
東京大学の大学院生だった1950年代初頭のこと。

まずニワトリの便を採取し、
「どんな菌が含まれているのか?」を調べることから始めたといいますが、
肝心の菌を培養する方法が確立されていない。
そこで独自の培地(BL寒天)を開発、
試しに自分の便を培養してみたところ、思いもよらぬ発見をします。
当時、乳幼児の腸内にしか生息していないとされていた
ビフィズス菌が数多く培養されたからです。

ビフィズス菌は乳酸菌の一種で、
いまでこそ腸内環境を整える「善玉菌」として知られていますが、
大人の腸内に生息しているとは
まったく思われていなかった時代です。

まだ先生がお若かったこともあり、
「光岡は別の菌を見間違ったのだろう」とずいぶん言われたといいます。
実際、「ヒトの腸内でビフィズス菌(乳酸菌)が優勢菌として生息している」
ということが学会で認知されるまで、
その後、10年あまりの歳月を要したそうです。

まして、「ビフィズス菌が優位になることが、
腸内環境を整え、健康を維持する基礎になる」
という事実も、
光岡先生が検証し、発見を重ねていくことで、徐々に明らかになっていたことです。

以下、先生の研究者としての歩みをたどっていくと。。。

・研究開始当初、腸内にどんな細菌がどれだけ棲んでいるか
ほとんど知られておらず、注目もされていなかった。

・したがって、便に含まれる菌を培養する方法も整っておらず、
培養法自体を開発する必要があった。

・腸内細菌の分類も進んでおらず、
培養された菌を一つ一つ同定し、学術的に体系だてる必要があった。

・これらの成果をもとに学問の一分野(腸内細菌学)を樹立すること、
さらには後進を指導することも求められた。

・食品メーカーの要望に応えながら、
当時の先端研究を健康に寄与するための開発に結びつける必要があった。

・腸内細菌研究で得られた知見をもとに一般向けの健康論、
さらには独自の世界観、哲学を遺された。

大学院を出られた光岡先生は理学研究所に入所、
主任研究員として腸内細菌研究の最前線に立ち、
ここに挙げた多彩な活動に従事されていきます。
また、在任中から大学の教鞭に立ち、多くの学生を指導したほか、
教科書や専門書の執筆にも携わっています。

とはいえ、研究の軸が便を集めて培養していくことにあったように、
汚いイメージがつきまとい、世間の評価は必ずしも高いわけではなかったといいます。
実際、華やかなものとはほど遠かったように思われますが、
先生ご自身は研究生活がよほど楽しかったようで、

「菌を培養して分類することも、培養法や機器を考案して試すことも、
私にとっては大きなやりがいであり、
試行錯誤しながらそのプロセスをあれこれとイメージすることには心躍る楽しさがありました。

自宅のある千葉県の市川市から
理化学研究所のある埼玉県和光市まで電車を乗り継ぐ間、
その日一日の研究に思いを馳せ、
イメージを膨らませることは至福のひと時だったように思います」

そう淡々と回想されています。
欲を出さず、心穏やかで、公平で、
学びたい人がいれば受け入れて、
わかっていることを惜しみなく伝える。。。

先生の研究室には、大学や民間企業から
次第にユニークな人材が集まってくるようになり、
様々な成果を上げていくことで、
いつしか「光岡学校」と呼ばれるようになったといいます。

「音楽の演奏に例えるならば、
それまでの研究が私個人の独奏、数人の室内楽の規模であったものが、
徐々に室内合奏団、オーケストラのような規模に変わっていきました。

私がその合奏団の指揮者でありつつ、
時にはソロで演奏することもあり、
そうやって奏でられた産官学のコラボレーションには
これまでと違った楽しさ、明るい活力のようなものがありました。

コツコツと続けてきた腸内細菌研究が、
この頃になり、ようやく日の目を浴びるようになったと言ってもいいかもしれません」

光岡先生は、研究者として後世に影響する様々な業績をあげるかたわら、
学術的なエッセンスから自己の世界観、哲学にいたるまで、
わかりやすく概念化し、伝えることにも精通しておられました。

その集大成と言えるのが、1968年に発表された
「腸内フローラと宿主の関わりあい」仮説です。
複雑多岐にわたる腸内細菌の働きや性質を
「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」というわかりやすい言葉で表現されたのも先生が最初ですが、
これらの菌が人の体の健康とどう関わっているか? 
一つの図のなかにそのエッセンスがすべて凝縮されているのがわかります。

「仮説」と称されていますが、発表された年代を考えると、
「腸内細菌学」のその後の研究の進展を見越した、どこか「予言」のようにも感じられます。

未知の分野を切り開き、そこから新たな事実を発見し、
これまでの事実と同定、統合しながら一つ学説、さらには世界観、哲学を構築していく。。。
光岡先生は、こうした自らの「創造のプロセス」をも概念化されています。

ご覧になって気づかれると思いますが、
ここに描かれている創造のプロセスは、
研究者にとどまらない、
すべての分野に通じる「意識変容のプロセス」のように映ります。

先生は、腸内細菌という顕微鏡で観察できる
微細でニッチな領域をコツコツと探究されながら、
つねに「普遍性」を意識されていました。
個々の事実を俯瞰した視点でとらえ、
どの時代の誰にとっても通じうる世界観を導き出す広い視野をお持ちでした。

創造するということについて、先生はこう語られています。

「直観したことは、自分のなかにしかありませんから、
思うように形になるまでは、たえず孤独や苦悩がつきまといます。
ただ、それと同時に幻想やロマン、好奇心も生まれるでしょう。

仮説を証明していくために必要なのが検証であり、
検証を積み重ねることで認識は体系化されていきます。
それは確かに大変なことかもしれません。
でも、自分が探究したいことに対して
そうした気持ちでいつづけるのはとても大切なことです」

「何をするのであれ、クリエイティブであるということは、
真善美を追求していることにほかなりません。
そこでは、何よりも無欲であることが求められます。

物質的な欲望を追求することも、
非常にエネルギッシュなことであり、
この世で生きていくうえでの原動力になりますが、
真善美の探究では邪魔になります。
善し悪しの問題ではなく、それは両立できません。

いい仕事をするためにも、いったん欲を捨ててはどうでしょうか?

損得勘定抜きに好きなことに打ち込んでいくと、
それが結果として仕事になり、利益を生むこともあります。
無心のところから始まったから、ここまで世界が広がったのです」

最後に、お会いするたびに伺ってきた、
光岡先生の18歳の頃の意識変容のエピソードもご紹介させてください。

話としてはちょっと不思議なのですが。。。
先生にとっては本当に大事な体験だったらしく、
ここからゆっくり人生の歯車がまわりはじめたと繰り返し話されていました。 

「ある日の朝、木漏れ日の差し込んでくる森のなかを、
いつものように内省しながらさまよい歩いていた時のことです。

これまでの自分の生き方を振り返るなかで、
ふっと天に救いを求める気持ちが湧きあがり、
自分がいかに自己中心的な人間であったかをハッキリと思い知らされた瞬間がありました。

それは自己嫌悪と言ったものではなく、
むしろ不思議と心が癒され、
腑に落ちるような体験だったと思います。
啓示とも言うべき直観を受けとったのはその直後のことでした。

『人はそれぞれ容姿も性格も能力も、生まれた環境も時代も違う。
しかし、それは天から授かったもので、運命として受け入れるしかないものである。

時には不平等・不公平に感じることもあるかもしれないが、
それに耐え、自分の個性を生かし、他人の個性も尊重する。

将来に夢を抱きながら、そうやって真っ直ぐに生きていくことこそ人生である』

言葉にするとそんな感じだったでしょうか。
それは一瞬にして脳裏をよぎったもので、予期していたわけではありません。
しかし、それ以前と以後で、私の意識が大きく変わったことがわかりました」

光岡先生と出会って5年後、
先生の集大成となる一冊
『大切なことはすべて腸内細菌から学んできた』
ハンカチーフ・ブックス)に携わるにあたって、
この体験をされた場所(市川市郊外のある浄水場の近く)
まで足を運んでみました。

電車やバスを乗り継ぎ、先生に教えられた場所を地図で探りながら、
ようやく「ここかな?」というところにたどり着き。。。
60年以上の歳月を経て、宅地造成も進み、
当時の面影はほとんど残っていませんでしたが、
もともと森が広がっていた一隅にスッと一本の樹が立っているのに気づきました。

何かを物語っているような感覚に襲われ、
いまも残っていた浄水場の施設とともに撮影し、
後日、先生にお見せしたところ、

「そうです、ここです」

と、静かにおっしゃられました。

あれからさらに5年の歳月が流れ、
先生にお会いする機会は少しずつ減っていきましたが、
折に触れてアドバイスをいただき、優しく励ましていただきました。

おそらく静かに、穏やかに時間を過ごされ、
天寿をまっとうされたのだと思います。

光岡先生、わずかな時間ではありましたが、
いろいろとご教示いただき、本当にありがとうございました。
学ばせていただいたことは多岐にわたっていますが、
自分なりに咀嚼をし、これからも縁のある人たちに伝えていきたいと思っています。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

2021年3月24日

日本セルフメンテナンス協会
長沼敬憲


◼︎光岡先生年譜
1930年 千葉県市川市に出まれる。
1942年 成蹊高校尋常科に入学。
1944年 学徒動員で学校工場・海軍技術研究所で働く。
1946年 成蹊高校理科1類へ進学。翌年、理料2類へ転科。
1949年 柏中学校教諭を1年間務める。
1950年 東京大学農学部畜産学科入学。
1953年 東京大学大学院生物系研究科獣医学専門課程修士課程入学。
家畜細菌学教室(越智勇一教授)に入室、腸内細菌の研究を開始。
1958年 理化学研究所生物学研究室に入所(理化学研究所所員)。
1964年 ドイツ・ベルリン自由大学に留学(〜1966年)。
1966年 「多菌株接種同定装置」の開発。
1968年 「腸内フローラと宿主の関わりあい仮説」を提唱。
    「プレート・イン・ボトル法」を開発。
1970年 理化学研究所主任研究員に就任。
1978年 新しい学問分野として「腸内細菌学」の樹立を宣言。
1980年 オリゴ糖など機能性食品の研究・開発を開始。
1982年 東京大学教授に就任(〜1990年)。
1990年 日本獣医畜産大学教授就任(〜1997年)。
1997年 「バイオジェニックス」を提唱 。
1999年 財団法人日本ビフィズス菌センター理事長に就任(〜2004年)。
2015年、「大切なことはすべて腸内細菌から学んできた 〜人生を発酵させる生き方の哲学〜」(ハンカチーフ・ブックス)を刊行。

◼︎受賞歴
1976年 日本農学賞・読売農学賞(腸内菌叢の分類と生態に関する研究)
1977年 科学技術庁長官賞(腸内菌叢に関する研究)
1988年 日本学士院賞(腸内菌叢の系統的研究)
2002年 旭日中綬章
2003年 安藤百福賞大賞
2007年 国際酪農連盟メチニコフ賞(「腸内細菌学」の樹立と機能性食品の開発)

◼主な︎著書
『腸内細菌の話』(岩波書店、1978年)
『腸内菌の世界--嫌気性菌の分類と同定』(叢文社、1980年)
『健康長寿のための食生活』(岩波書店、2002年)
『人の健康は腸内細菌で決まる!』(技術評論社、2011年)
『腸を鍛える--腸内細菌と腸内フローラ』(祥伝社、2015年)
「大切なことはすべて腸内細菌から学んできた 〜人生を発酵させる生き方の哲学〜」(ハンカチーフ・ブックス、2015年)