「Feel In Your Bones! 直観に従い、好きなことに打ち込めば、変幻自在な人生が現れます」(松村卓インタビュー①)

タイトルを見て、「どんな意味だろう?」と感じた人もいるかもしれません。直訳すれば、「あなたの骨を感じよう」。それが英語では、「直観に従おう」という意味になります。

直観とはパッと思いついたものではなく、その人の思いの核にあるもの。本当に大事にしたい拠りどころとなる感覚。それがなぜ骨と? 不思議なようですが、日本人も「骨がある人」と言えば、生き方の芯を持った人を思い浮かべます。「あいつの骨を拾う」と言えば、その人の魂そのものを受け継ぐことを指すでしょう。

つまり、目には見えない骨にこそ、大事な魂が宿っている。その骨をカギに劇的とも言えるパフォーマンスの向上を実現させる「骨ストレッチ」が、いま大きな注目を集めつつあります。

創始者の松村卓氏と出会い、縁がつながれていくことで、最初の本を世に送り出したのが2011年。当時、撮影の舞台として選んだ東京の代々木公園で氏と落ち合い、5年半ぶりに目にする景色のなか、ゆっくりと過去・現在・未来へといたる道のりをたどってみた。今回はその前編。

5年半後の「原点回帰」

――今日はどうでしたか? 代々木公園は5年半ぶりですよね。原点回帰のつもりで設定させていただきましたが……。

松村 旧友に再会したような気分でしたよ。あの場所は、まさに原点ですよね。当時から「骨ストレッチを日本基準にするんだ」っていう目標は持っていましたが、正直、自信があったわけではありません。それが5年経ち……。

――ものすごく濃密な5年間でしたよね。

松村 ええ。現実に感じられるくらいの変化を体験してきました。たくさんの方に本が読まれるようになったのも嬉しいですが、まさかテレビに出て、「金スマ」で話題になり……考えられないですよね、あの頃のことを考えると。

――まさにコツコツやってきて。

松村 本当、コツコツ。目の前のことをコツコツ、坦々とやった結果、ここまで来た。まだこれからですけれど(笑)。

――撮影日が2010年の9月30日で、そのあとに編集作業に入って2011年を迎え、かなり完成に近づいていた頃にまさかの出来事がありました。3月11日の東日本大震災です。

松村 その日、仙台の自宅で被災したんです。幸い自宅も無事で、僕も家族も命拾いしたんですが、電気・ガス・水道のライフライン全部止まって、おまけに雪が降ってきたんですよ。

――あの時は本当に心配しました。いつくらいに報道に接したんですか?

松村 子供が学校にいる時間だったから、妻に迎えに行ってもらって、そのあとだいぶ経ってから、車のテレビがつくことに気づいたんです。それで車に乗り込んで見たら、あの津波でしょう? 皆さんもそうだったでしょうが、もう何が起こっているんだと驚きました。

――3月11日は、先生の誕生日だったんですよね。

松村 ええ。あの日は、午前中に亡くなった親父の会社からいまの会社に登記を書き換えた日でもあったんです。それが終わって、税理士さんのところから帰り、今日は家族で誕生日祝いだと思っていたら、14時46分にね。

――いろいろな意味で、運命の一日だったんですね。

松村 自宅に誕生日プレゼントでバームクーヘンが届いていたんですが、それがまさか非常食になるとは……。余震も怖かったですし、なにより電話がつながらない。これからどうなるかわからないという時、忘れもしない3月13日、長沼さんがブログに書き込みされたコメントを読んだんです。

――ああ、そういうタイミングだったんですね。

松村 「本の発売が6月末に決まりそうだ」って書かれてあって、「そうだ、俺は骨ストレッチを世の中に伝える仕事があるから、こんなところで死ねないんだ」って希望が湧いてきました。

――一番弟子の安井章泰さん(当時、骨ストレッチ認定指導員/陸上短距離元世界陸上代表)と連絡が取れたのは、何日だったんですが?

松村 3日後か4日後でしたね。そのときも奇跡だったんですよ。自宅近くの丘の上で携帯電話をかけたら、つながって。他の人も真似して同じところでかけてもつながらないのに、なぜか自分だけが。

――先生って、そういう不思議なところがありますよね。安井さんは、本当に喜んでいたでしょう?

松村 泣いていましたね。いろいろな方に心配をかけましたが、本当にあの日が転機だったんだと思います。骨ストレッチを世に広め、世の中を変えていく、そういう使命をいただいたんです。

骨ストレッチに育ててもらってきた

――それにしても、出版には時間がかかりましたね。山あり谷あり、紆余曲折を経て、デビュー作である『誰でも速く走れる骨ストレッチ』の刊行に漕ぎ着けたのが6月30日です。

松村 いまとなっては懐かしい思い出ですね。

――で、当時の記録を調べてきたんですが、うちがお手伝いする形で骨ストレッチの最初の講習会を開いたのが8月26日です。

松村 覚えていますよ。横浜の日吉でしたよね。たしかダンススタジオで、4階まで上がってね。

――おお、そこまで覚えていますか? 当時、フェイスブックを始めたばかりだったんですが、読み返したら講習会の告知が見つかって、15名限定とちょっと控えめに書かれていました。

松村 でも、20名以上の方に来ていただきましたね。

――どれだけ集まるかわからず、ちょっと弱気だった気がしますけど(笑)、結局、越えましたよね。

松村 終わった後の懇親会も印象深いですね。長沼さんが思いのたけをいろいろと話されて、参加者のWさんに「あなたも人前に出て話をしたらいい」って励まされて。

――不意にそういう話になったんですよね。先生の会だったのに、なぜか「自分はこう思っている」みたいな話を(笑)。

松村 きっと何かに背中を押されたんでしょう。

――僕自身、同じ年の12月14日に『腸脳力』を刊行したので、世の中に出ていく転機の年だったんだと思います。

松村 お互いがそうだったんでしょうね。

――2011年が生き方の転機になった人って、たくさんいると思いますよね。先生は、それから骨ストレッチとともに大きく変化していきましたが、根本は全然ぶれていないですね。

松村 自分としては、骨ストレッチに育ててもらっているという思いが強いですね。骨ストレッチのすごさを知れば知るほど、そのレベルに自分が追いつかなきゃいけないっていう気にさせられます。

――それだけすごいものに出会ってしまった……。

松村 ええ。自分としては、骨ストレッチの真髄に近づきたいと思っているだけで、誰がライバルとか、誰に知ってもらいたいとか、追求するほどにそういう思いはなくなっていきましたね。

――先生ご自身、いろいろなものがほどけていったんじゃないですか?

松村 不思議ですが、認めてほしいと言っているうちは誰も認めてくれない。そういう時って、我が出ますよね。

――その我が邪魔するんでしょうね。

松村 我欲を持つことが悪いわけじゃなく、大我じゃないから広がらないんです。小さな欲から離れて、世の中のためになる大きな欲を持つ。そうした自問を何度も繰り返すことで、自分の進む道が見えてくる気がします。

――まさにパラダイムシフトですね。

松村 ええ。何度も脱皮しながら、いまがあるんだと思っています。

「身体が喜んでいるか」を比較する

――パラダイムシフトというと、いま世の中の価値観が大きな変化の渦中にあるのを感じます。先生の場合、それを身体を通して感じるような毎日ですよね?

松村 ここまでの5年間を振り返ってみても、正直、試行錯誤の連続です。でも、身体感覚だけはオッケーだよって言ってくれていた。その声を頼りに進んできた気がしますね。

――その感覚をいつくらいから実感するようになったんですか?

松村 やっぱり、骨ストレッチを生み出し、これまでのストレッチと効果を比較するようになってからですね。それぞれを行った後に身体を動かしてみると、反応が明らかに違うんです。ただ単に腕がまわしやすい、前屈がしにくいといったことだけでなく、心地よさが違うんですね。

――骨ストレッチの面白いところは、すぐに覚えられ、効果がその場で確認できることですよね。だから、観念論になりにくい。

松村 身体が喜んでいるか、嫌がっているか。大事なのはこの比較です。

――あまり強調しすぎると、ストレッチ批判のようになってしまい、論争が始まってしまいますが、そこは大事じゃないですよね。

松村 どちらが心地よいのか、それを自分の身体で確認し、自分で選択すればいいんです。

――その結果、骨ストレッチが選ばれなくても?

松村 もちろん、構いません。こちらが強要することではないんですね。たとえば、いま「骨ストレッチ・ゴルフ」のDVDの製作を進めているのですが、その撮影のなかで、「いままでの常識的なスイングがいかに身体にダメージを与えているか」を検証しているんです。

――どんな内容ですか?

松村 簡単ですよ。クラブも何も持っていない状態で、一般的に教えられているスイングをしてもらうんです。母指球に力を入れ、しっかり地面を踏ん張って、振り抜くという……。

――クラブも持たないで、ですか?

松村 ええ。空振りでワンスイングしてもらうんですね。そのあとに腕をまわしてもらうと、たったそれだけで全然まわらない。

――本当ですか? すごい話ですね。

松村 撮影でスイングをお願いした方は、いまはそんなに悪いスイングはしていません。だから比較できるのだと思いますが、「こんなに身体が嫌がっているんですか」って。

――そもそも、普通はそんなふうにスイングを疑わないんじゃないですか?

松村 ご飯食べながらうまいって感じるか、まずいって感じるか。私が大事だと言っているのはそういう感覚ですよ。

――まずいものを食べても、その味が当たり前だと思ってしまうと、本当に美味しいものに出会えないのかもしれません。

松村 何かわからないけれど嫌な感じがするという、そうした違和感が大事なんです。骨ストレッチを実践していく土台もそこにあります。

強迫観念から自由になる

――松村先生は、かつては陸上競技の短距離走者でしたよね。現役の頃、そういう感覚は?

松村 恥ずかしながら、なかったですね。というより、違和感を持つことは弱いことだと思っていましたから。

――弱い?

松村 ええ。たとえば、腹筋運動をやったり、体幹トレーニングをやったり、速く走りたい一心でいろいろなことをやりますよね。いまならば、体がプルプル震えてきたら、「やめてくれー」って悲鳴をあげているのがわかりますが、当時はこれを克服したら強くなれると思っていた。身体の違和感よりも、脳の価値観が勝っていたんです。

――そういうふうにトレーニングをしている人って、多いですよね。

松村 多いですね。そういう経験をすることも自分には必要だったと、いまでは思っていますけれど、本当に頑張りましたね(笑)。

――先生もご存知の土橋重隆先生は、そうした価値観の呪縛を「マジック」と呼んでいますよね。マジックが解けると生き方が変わり、考え方が変わり、場合によっては病気も治ると。先生のマジックが解けたのは、そもそもいつだったんでしょうか?

松村 やっぱり、骨ストレッチが生まれた頃なんでしょうね。そこに至る過程ですでに変化は始まっていたと思いますが……。

――スポーツの世界から古武術の世界へ向かっていくことで、それまでのトレーニングで身につけてきた常識が覆されていった。

松村 そうですね。結局、筋トレしていないのに強い力が出せるとか、俊敏に動けるとか、筋トレ一筋だった自分からしたら、そうした体験の一つ一つがありえないわけですよ。でも、実際に身体で試していくと、そうした結果が出る。だから、頭の中が切り替わっていくわけです。

――衝撃というか、革命が起きていったような感じだったのでは?

松村 陸上競技をやっていると、「プロテインを飲まないと強くなれない」みたいな考えがあるじゃないですか。

――現役のころ、飲んでいたんですよね?

松村 飲んでいましたよ。プロテイン牛乳命でしたから(笑)。そうしないと筋肉がつかないと思っていた。でも、骨の使い方を知っていくことで、そういう考えが心の中からさーっと消えたんですよ。それまでは、プロテインを飲まないといけない、筋トレをしないといけない。練習を休んではいけない……そういう強迫観念ばかりでしたね。

――練習しなきゃ、勝たなきゃという価値観から解放されたら、本当にラクですよね。

いまのトレーニングに居着かない

松村 ええ。先日、講習会に参加された方が、「先生の研究レポート見て感動しました」って話しかけてこられて。バレーボールをやっていると言っていましたが、「僕の人生を書いてくれた感じです。だから、信じてみようと思ったんです」って言われて、とても嬉しかったですね。

――ここだけの話、研究レポートは必見ですね。あまり宣伝されていませんけど、先生のホームページ(http://www.sportcare.info)に掲載されているので、探して読まれたほうがいいと思いますね。

松村 ありがとうございます。

――僕もこのレポートが更新されるたびに読んでいました。それがあったから興味が持続して、最初の本の出版につながったんだと思います。

松村 健康雑誌の取材で初めてお会いして2年が経っていましたから、メールをいただいた時はすぐに顔が浮かびませんでしたけれど(笑)。

――ハハハ、そうですよね。出版社の方との会話の中で、たまたま名前が出たんです。当時は「骨整体」と呼ばれていましたが、「それいいね!」という話になり、すぐにゴーサインが出て……。

松村 いやあ、あれにはびっくりしました。本当に自分の本が出せるのかと半信半疑でしたから。

――最初に取材した時点で、骨ストレッチの原型は完成されていましたし、先生ご自身、筋肉一筋の世界からは完全に離れていましたよね。

松村 正直な話、いまはわかるんですよ。自分はずっと筋肉に居着いていたんだなって。居着かなくなって、自由になれたんです。

――筋トレが悪いとかそういう話ではなく、居着いていた、つまりそこに執着していたことに問題があったのだと。

松村 たとえば、ゴルフ界でもいまのトレーニングを続けるだけでは伸び代がないって、みな気づいているらしいんです。

――ほかのレッスンプロの人たちも?

松村 ええ。でも、「では、どうしたらいいか?」という新しい引き出しを持っていない。だから、とりあえずやっている。

――何もやらないわけにはいきませんからね。

松村 それしか習ってきてないから、それがすべてだと思って、新しい発想ができないわけですね。で、体が壊れたら整体に行けと(笑)。

――うーん、それが現実かもしれません。

松村 そこから抜け出す答えは、すべて骨ストレッチにある。そういう確信があるから、僕は骨ストレッチを日本中、世界中に伝えていきたいと思って奮起しているわけなんです。

――先生と話していると、それが本当に実現できる気がしてきます。

松村 ええ、できるんですよ。できると思っていればできるんです。そして、やめなければたどり着けます(笑)。

後編につづく)

松村卓 Takashi Matsumura
1968年、兵庫県生まれ。中京大学体育学部体育学科卒業。陸上短距離のスプリンターとして活躍。100mの最高タイムは10秒2(追風2.8m)。北海道国体7位、東日本実業団4位、全日本実業団6位などの実績を持つ。現役引退後、スポーツケアトレーナーに転身。ケガが絶えなかった現役時代のトレーニング法を根底から見直し、筋肉ではなく骨の活用法に重点を置いた画期的なストレッチ法「芯動骨整体(骨ストレッチ)」、体幹部を効果的に活用できる「骨ストレッチ・ランニング」「骨ストレッチ・ゴルフ」などを考案、全国で講習会を開催するほか、多くのスポーツアスリートの指導にあたる。スポーツケア整体研究所代表。著書に、ベストセラーになった『ゆるめる力 骨ストレッチ』(文藝春秋)、甲野善紀氏との対談『「筋肉」よりも「骨」を使え!』(ディスカヴァートウェンティワン)などがある。2016年6月に、ダイエットをテーマにした新刊を刊行予定。http://www.sportcare.info