「食べ物のエネルギーのおかげでいまの自分がある。性格的なものも含め、すべて影響を受けていると思うんです」(中島デコ インタビュー)

千葉県の太平洋側、房総半島の南東部にいすみ市という、緑の広がるのどかな田舎町があります。葉山のある三浦半島とは、東京湾を挟んだちょうど向こう側。房総半島のほうがずっと大きいですが、半島の端っこどうしにあること、それから、都心から移り住んできた人がわりと多いところが少し似ています。

今回インタビューした中島デコさんは、もう20年も前にいすみに移住し、食と農の新しい生活をはじめたフロンティアの一人。エバレット・ブラウンさんと始めた「ブラウンズフィールド」は、時代の変化とともにまるで生き物のように成長し、各地からたくさんの人が集まり、びっくりするくらいに心地よい空間に変わっていきました。

大きなビジョンも必要ですが、それよりもまず、目の前の生活を大事にすること、実感を重ねていくこと、その先に広がる世界を共有すること。デコさんがずっと続けてきて、広がっていった世界の一部を皆さんにシェアします。

原風景は代々木公園?

――デコさんの一番の原風景ってどこなんでしょうか?

中島 こういう暮らしは子育てのなかでぼちぼちと始まったんですが、一番の原風景は東京の代々木公園だったりしますね。私が子育てしていた頃の代々木公園はいまみたいに整備されてなくて、ブッシュがあちこちにあって、雑草もいっぱい、たけのこやきのこがあって……。

――そんなに?

中島 よく探すと野草がいっぱいで、それを子どもたちと一緒に採って食べてね。上の子を育てている時に「原宿おひさまの会」という自主保育の会に入って、そこで子育てをしたんです。他のお母さんは一人か二人なのに、私は次々と産むからみんなが育てるのを手伝ってくれて(笑)。遊具のない場所で伸び伸びと放牧するように子育てするというサークルでした。

――それは当時でも珍しかったのでは?

中島 「知っている人は知っている」という感じかな。鼻水を垂らして昭和っぽい子どもが走り回っていたから「何しているんですか?」と声をかけたことが知ったきっかけですね。そこから自主保育に参加して、8年間くらい通っているうちに「採集の喜び」に目覚めちゃって(笑)。

――代々木公園がそのフィールドだったんですね。誰か教えてくれる人がいた?

中島 代々伝えられるという感じでした。「ここにノビルが生えるよ」「ヨモギが取れるよ」「いつもキノコが生えるよ」とかね。公園の管理人のおじさんに怒られたりしながら(笑)、グレーゾーンで遊んでいた感じです。まあ、そんな野外での子育てをしているうちに一人増え、二人増えと五人も産んでしまって「これはヤバイな」と。もう家もうさぎ小屋状態だし、引っ越したくても広い家は家賃が高いし……。

――食に関しては?

中島 食べ物には最初からこだわっていたんです。でも、こだわればこだわるほど、都会だとエンゲル係数が高くなってしまうでしょ? 自分に対してもお金はかかりますしね。服、靴、バッグ、美容院だとか……。

――お金は自然とかかってきますね。

中島 子どもたちとどろんこになって遊んでいるほうがずっと楽しいし、お金もかからない。だけど、エンゲル係数だけが高くなっていくと。それで、ふとマクロビオティックの教えの「身土不二」を思い出したんです。

――「土と体は二つに切り離せない」という。

中島 (食材を丸ごと使用する)「一物全体」という教えもあるし、オーガニックのものを選びたくはなるけれど、都会で買うと高いし、遠くから化石燃料を使って運ばれて来るのも納得いかない。しかも新鮮じゃない。それで、「緑のなかですぐその場にあるものを採って食べる生活がしたい!」という気持ちになっていったんです。

「食べ方」よりも「生活」が大事

――都会での子育て、オーガニックはやっぱり難しいですかね?

中島 私の中でマクロビオティックは「食べ方」じゃなくて「生活」だなと思ったんですね。食べることイコール生活だし、食べて出したものが土に戻れば、微生物に分解されて植物を育てる栄養になる。それで育った作物をまた採って食べるという循環……これをパーマカルチャーなんて横文字で言わなくても、昔の人は普通にやっていたことだなって思ったんです。

――生きるためのとても大事な基本ですね。

中島 横文字にするとみんな喜んで飛びつくけど(笑)、日本古来のつながり、つまり、人どうしもあるけれど、植物や微生物、自然とのつながり、食物連鎖の中で感謝しながら生きるということがマクロビオティックだと思うんですね。

――それを実践したくなった?

中島 私の中では出産・育児が(そうした生活の)キーワードになっているんです。子どもを育てながら生活を紡いでいく……料理を作ったり、梅干しを漬けたりといったことが、考えているよりもハードルが低くて、とても楽しいことだと伝えることが私の願いかな。

――その延長にブラウンズフィールドがあるわけですね。そのあたりは最初からずっと持っていたイメージでしょうか?

中島 そうですね。自分でお味噌を作ってみて「やった! 作れたじゃん!」といった経験のひとつずつが喜びになっていったし、女性目線なんですが、安くできるとそれだけで嬉しいんですよ(笑)。あふれるほどのお金があったならその喜びもなかっただろうし、楽しみもなかったと思いますが、お陰さまで貧乏だったからこそ工夫して、それに気づけた。本当に「貧乏バンザイ!」と思っているんです。

植物や菌の力で生きている

――お金も何もなかったから生きる原点に帰れたというお話ですね。

中島 工夫して何かを手で作り上げるとその辺で売っているものよりも質の良いものが安く手に入るし、喜びもある。これも伝えていきたいことの一つですね。

――「外で働きたい」という意識はなかった?

中島 働くの好きじゃないし(笑)。まあ、よく言えば、男女は性が違うわけだし、陰と陽で違うものが同じことをして頑張る必要はない。だって男性には絶対にできないことが女性にはできたりするわけだし、逆もしかり。両方が協力してできることだってあるし。

――外で働くと、確かに競っちゃいますよね?

中島 そこで大事なのは競争じゃないでしょ? お互いができることで補い合って世界を作っていけばいいと思っているから、「女性も仕事を!」と大きな声をあげる必要はないと思うんです。ま、そもそもそうやって旗を振ることがあんまり好きじゃないだけなんですが(笑)。

――その思いはマクロビオティックを学ぶことから生まれたものなんですか?

中島 マクロビオティックの思想や概念というよりも、そこで教わった「自然と生活に寄り添った暮らしと食べ方」で感覚とか考え方が変わってくることが大事だと思っています。だって、食べ物のエネルギーのおかげでいまの自分があるわけでしょう? 性格的なものも含め、すべて影響を受けていると思うんです。

――確かにそうですよね。

中島 それこそ植物や菌の力で私たちは突き動かされて生きていると思うんです。菌と氣は一緒のものだと思いますしね。

――おお、すごいですね。実際、菌は生命そのもので成り立っている存在ですから、氣と呼んで差し支えない気がします。

中島 まあ、こんなこと、言える人と言えない人がいると思いますけれど(笑)。

食を変えると運命が変わる?

――生き方と食べ方って、根底ではひとつにつながっていますよね?

中島 16歳の時、(マクロビオティックのパイオニアである)桜沢如一の本を読んだんですが、その時は「こういう考え方もあるんだ」と思っただけでした。本をくださった方に「デコ、玄米を食べると運命が変わるんだよ」って言われて、サーッと引いちゃって(笑)、「どういう宗教なんだ!?」ってドン引きした覚えがあります。いまは自分でも言うようになっていますが(笑)。

――それは実感としてある?

中島 ありますね。人生はひとつしか選べないじゃないですか? だから、私がコンビニのものを食べ、お肉ばっかり食べ、大酒を飲んでいたら、いまのこういう人生はないですよね? 別の人生だし、出会う人も違っていただろうし……。食事を変えると、自分が育んでいる菌も変わってくるといいますよね?

――腸内細菌はまさにそうですね。

中島 私は菌が出会いを引き合わせていると思っているので、自分が育んでいる菌が変われば出会いも変わり、引き寄せるものも、自分の生活ステージもすべてが変わってくる。もちろん、運命も変わっていく。

――食べ物を選ぶと菌の育み方が変わり、その結果、腸も変わり、性格が変わり……生き方も現実も変わっていくという。

中島 これは話しても「ふ~ん」で終わる人、「はぁ?」って感じる人、「すごく腑に落ちる!」という人といろいろでしょうね。自分で本を読んで理解することと、食べるという実践を通して腑に落ちることは全然違いますから、これは仕方ないことなんでしょうね。

いい塩梅、いいさじ加減

――マクロビオティックをやっている人のなかにも、頭でっかちな人っていますよね?

中島 そう! すごくストイックでガチガチになっている人も多いの。

――そういう人との違いって何でしょうか?

中島 何だろうなぁ? 私も、子どもたちに対して、変なものを食べたら怒っちゃう時期もありましたが、淡々と長く続けていくうちに、いい塩梅、いいさじ加減、自分の中の線の引き方がだんだんとわかるようになっていきました。

――いい塩梅、いいさじ加減。

中島 食事を通じて体調が変わり、ラクになっていける人は、変化を受け入れられる柔軟さを持っていると思うんです。なかには「変化しないぞ!」という人もいますよね。マクロビオティックは「すべてのものは変化する」という教えなのに、真面目な人が多いから……。

――思いつめてしまうような?

中島 たとえば、「あなたは冷え症だから毎朝梅醤番茶を飲んだほうがいいですよ」といわれると、普通は変化が出てきたら、体が求めなくなり、美味しく感じなくなるでしょう? そこでやめればいいんだけれど、感覚じゃなくて頭で「私は陰性だから陽性に変えなくちゃ」と頑なに10年も飲み続ける人もいるわけですよ。そうするともう、ガチガチのガリガリで(笑)。

――本当は食事を通じて、ガチガチになった頭がほぐれるといいんでしょうね。

中島 そうなんです。でも、何のために始めたのかさえ忘れちゃう。本当は健康になって、ほぐれて、楽しくなって幸せになりたいからだと思うんですね。幸せになりたくない自滅的な人は滅多にいないでしょ? ほとんどの人が幸せになりたくて、いろんなことをやってみる。そのひとつとしてマクロビオティックもやってみる。でも、そのやり方、方法にがんじがらめになって……。マクロビオティックは確かに食にはこだわるし、それも大事だけれどね。

――勉強して、守らないとならない部分もありますよね。

中島 こだわるのはいいけれど、囚われてしまっている人がいるんです。こだわるのと囚われるのはまた違うことだと思うんですね。私はもともとがいい加減な性格で、あんまりきっちりやらなかったのがよかったのかな?(笑)

「鴨ネギ」を引き寄せる秘訣は

――ところで、ブラウンズフィールドを始めて20年ですよね? それ以前は都心で畑仕事とかされてなかったんですか?

中島 下北沢の辺りに住んでいて、小さなお庭はありましたが、日当たりも悪いし、土のことも全然わからなかったから、畑とかはできなかったですね。

――こちらに移住したことが農業に本格的に取り組まれるきっかけに?

中島 東京に住んでいた頃、地方に住んでいるお友達の家に遊びに行くと、朝ごはんの前に「小松菜ができてるから採ってくるね」というんです。それって素敵だし、一番贅沢でしょう? だから、私たちも小松菜や大根くらい作れたらってくらいの気持ちで。

――そこまで強くは思ってなかったんですね。

中島 ところがこちらへ来てみると、意外と土地があって、貸してと言うといくらでも貸してくれて、しかも目の前に田んぼがあって! 「もうやるっきゃないでしょ!」と、翌年から田んぼも始めたんです(笑)。

――誰かに教わって始めたんですか?

中島 最初はどこから手をつけていいかもわからなくて、うちに時々見学に来る人に「今度田んぼもやってみたいけれど、どこから手をつけていいかもわからないんだよね」って話していたんです。そしたらある人が「僕、いま車に種もみを積んでいるんですけど」って。「エエッ、どういうことですか?!」って驚きましたよ。「鴨ネギ」とはまさにこのことで(笑)。

――向こうから種もみがやってきた(笑)。

中島 その人が東京からの移住先を探していたので、月に一回ほど通ってもらって、物件を探したり、田んぼも手伝ってもらったり、そうしたことを1~2年やっていました。それから彼も移住してきたんですね。まあ、こういう時って要所要所で不思議なことが起こるんですよ。

――ああ。デコさんの場合、何が良かったんだと思いますか?

中島 私の場合、玄米をよく噛んで食べ、なるべく菜食にこだわる。こうした食事で内蔵が整い、腸が整うことで血液の循環もよくなり、便通もよくなるじゃないですか? 要するに、自分の中のとおりがよくなっていったんですね。すると感度もよくなって、引き寄せではないですが「鴨ネギ」がやってくると(笑)。

――食事が運命を変えてくれたわけですね。

中島 あんまり言うと「え~?」と引かれると思うんだけど、でも、私の中では体と精神とめぐりはつながっているんです。

広く、風通しのいい空間にしたい

――それにしても素敵な空間ですよね。この景色とか状況は、ここに来た最初から思い描いていたものなんでしょうか?

中島 引越しが決まった時、主人と下北沢でお茶しながら、「広いから風通しのいい場所にしたいね」と話したのは覚えていいます。人が行き来することも含めて、「風通しがいい場所」というイメージはあったんですが、子どもも5人もいるし、これ以上増えるのは無理だよと。ところが、彼がウーフ(WWOOF)というシステムを取り入れようと言いはじめたんです(注1)。

――ああ、農業したい人を受け入れる……。

中島 有機農法をしている場所に働きに行って、その働くことと食べること、泊まることを交換するシステムで、ネットで募集できるって言うんですが、当時はネットと言われてもわからなくて。いまはこんな大きな規模に……。

――20年も前ですもんね。

中島 私は反対したんですが、押し切られて……。でも、実際に来てもらったら逆にありがたくてね。草刈りとかもしてくれるし、主人に言ってもなかなかやってくれないことをさっさとやってくれるし(笑)。仕事が進まないストレスが減って本当に助かりました。

――家族の中に他人が入ってくるような状況に、すぐに慣れたんでしょうか?

中島 主人も大きな子どもみたいなものだったから、一人で6人抱えていた状況だったのでね、ものすごく大変なんですよ。社長みたいなもんじゃないですか? 経理から人事から……。だけど、人を入れることでちょっとずつラクになっていったんです。しかも無料だし(笑)。もちろん、食べさせなければいけないけれど、食べるものはみんなで一緒に作ろうねと。人が増えて料理も大変なんですが、なかには料理好きな人がいて作ってくれたり、私が料理をしている間に洗濯物が終わっていたり、主婦としては「超ラッキー!」みたいな(笑)。

――やっぱりそれで世界も心も広がったみたいな感じはありますか?

中島 はい。「いいじゃん、別に血がつながってなくても、大家族みたいに暮らすのも!」と。田舎だから外での仕事がいっぱいあって、草刈りとか薪割りとか、収穫だっていっぺんにたくさん採るから大変だし。いっぱいやることがあるから大家族って助かるなって。

最初はお願いしているような感じだったけれど、最近は皆さんの世話になっているような感じでね。こっちが「今日は車を借りてもいいですか?」みたいな(笑)。まあ、一般的な人と路線が違ってくるとは思うんだけど、こういうコミュニティの成功例というか見本になりたいなと思うし、そうなればきっともっとラクに生きられる人が増えると思っています。

昔あったラクになれる空間

――心理的には敷居が高いようにも感じてしまいますが、そこまで難しくないと?

中島 ちょっと心の扉を開けば、もっとみんながラクになれる生活があるはず。シェアすることの喜び、楽しみを感じて生活するような……。実際、いまは20代、30代のなかに、ここに来たくてしょうがない人が多いんですよ。

――以前と比べて変わってきましたか?

中島 すっごく変わってきました。以前は人手が足りなかったんですが、いまは10人の中から1人を選ばなきゃいけないような状態ですから。

――おお。それはここ数年のこと?

中島 そうですね。若い人も高い車に乗りたいとか、いい仕事に就きたいといった欲が減ってきて、その分、もっと本当に地に足をつけて生きたい、自分探しをしたいという……悩みを抱えて、困っている若者が増えているのかなあ?

――でも、悩んでいるだけでなく、実際に行動に移す人が増えているのでは?

中島 ネット環境のおかげで募集しやすくなったというのも、理由としてあると思いますよ。でも、増えていますよね。私とすれば、こんな場所が全国に増え、どこか寂しい思いをしてきた人たちにとっての「みんなの実家」になればいいなって思っているんです。

――こういう空間って、昔は普通にあったものを現代に再現しているような気がするんです。

中島 そうそう! 大家族が普通だったでしょう? 子どもたちをみんなで見守って、若い人たちは畑仕事など力仕事に出て、おじいちゃん、おばあちゃんたちは孫を世話しながら豆を選るみたいなね。そして、出戻りのおじさん、おばさんみたいな変な人もいて、いろいろと教えてくれるみたいな(笑)。

――訳ありな人もちょっといたりして……。

中島 そう、訳ありな人も大事(笑)。都会でも長屋があってみんなで助け合う生活が普通だったんだと思います。お味噌やお醤油を貸し合うみたいなね。そういう生き方が日本人には合っているんだと思うんです。

――生活の場を共有することで、クリエイティブな追求ができるってすごいですよね。会社のプロジェクトとかじゃなく。

中島 いまは、どこまでが生活で、どこまでが仕事なのか、みんな悩むところではあると思うんだけれど(笑)。まあ、それなりに大変なこともいっぱいある中でも、みんなでテーブルを囲んで一緒に分かち合ってという環境がエネルギーの場になっていると思いますね。

お金がないことで生まれた喜び

――ここ(慈慈の邸)やブラウンズフィールドは手作りなんですか?

中島 大工さんに頼んだ部分もありますし、なるべく安く仕上げるために大工仕事を手伝ったり、自分たちで完全に手作りしたところもあるし、いろいろですね。

――つくる喜びの集合体みたいな場所だなって感じたんです。

中島 あふれるほどのお金があれば、全部お任せだったかもしれないけれど、それがないおかげでつくるプロセスが楽しめるというのはありがたいなって思ったり。でも、少しはお金があればラクだろうなって思ったり(笑)。

――お金がないと困りますが、そのハードルがかなり低い感じがします。

中島 生活は本当に質素ですよ。とにかく無駄にしないということが、脈々と定着しています。たとえば、サラダを作るとお皿の底に野菜やドレッシングがちょっと残ったりしますよね。それを全部取っておいて次の料理にも使うと、得も言われぬ美味しいものができるんです。すっごく複雑な味わいなんだけど、二度とは作れない(笑)。おまけに、マクロビオティックだから皮も剥かないし、葉っぱも根っこも食べるから、ほとんど残らない。ヤギにあげる分が少なくて困るくらいで(笑)。

――低コストで、でも豊かで。

中島 週末だけやっているカフェにしても、なるべくまわりのものを使うし、うちにないものは近所のオーガニックの農家さんから仕入れたり、なるべく地域の中で手に入れるようにしていますし、残ったものはスタッフが食べるから廃棄はゼロ! つくる過程でもなるべく全部を使うようにしているから、廃棄がすごく少ないんです。

――都会のレストランやコンビニは廃棄することが当たり前なのに……。

中島 そう考えると、めちゃめちゃ利益率が高いし、家の片隅でやっているから家賃もいらない。だからこそ続けていけるんです。このクオリティを青山でやったらすぐに潰れます(笑)。

――この場だからこそ価値がある、かえって効率がいいってことですね。

中島 お客さんがきてくれて売り切れても嬉しいし、売れ残ってもスタッフのものになるからスタッフも喜ぶし(笑)。どっちにしても嬉しいとか、八方すべて良しという、みんなが幸せなのが一番いいですよね。

「ハードルって低いんだよ」と伝えたい

――舞宙音(マチネ)さんが作ったお料理も本当に美味しくて、やっぱりデコさんがされてきたことがうまく継承されているんじゃないですか?

中島 舞宙音はキレイに見せるとか、プロの料理ですけれど、私はもっとハードルを下げていって、簡単でも美味しい家庭料理を分かち合いたいですね。みんなつくるのは大変だと思っているから、スーパーのお惣菜で済ませてしまうんだけれど、じつは大変じゃないし、そこに喜びも楽しみもあるって知ってもらいたいですね。お味噌だって、半日だけ頑張れば翌年一年分が確保できるんです。買いに行かなくていい!

――そうですよね。そのほうが質もいいし。

中島 自分の好きな豆や塩で作ることができるし、意外と簡単だということをちゃんとシェアしたいなって。お味噌や醤油だけじゃなくて、お料理もそんなに手をかけなくても美味しいものができるんだって。

――体にいいものはあんまり美味しくないというイメージがなぜかあって……。

中島 そうなんですよ。なんでだろう? すごく美味しいのにね。だって、美味しくないと続かないでしょ? 美味しいからこそ続けているし、健康にもよくて美味しかったらもっといいよね、と伝えていきたいんです。

――たとえば、一般的なパン屋さんの食パンとか菓子パン、惣菜パンを美味しいという感覚もあるけれど、もっと硬いパンが美味しいという感覚、体に合うという感覚に切り替わる瞬間があると思うんですね。

中島 両方を美味しいと感じても全然いいと思うし、自分がストイックに健康食をやらなきゃと我慢していたら、人が食べているものがすごく羨ましくなったりするでしょ? その場にあるものを自分の体に聞きながら選べばいいと思っているから、人が目の前でステーキを食べていても構わないし、美味しいケーキがあれば食べてもいい。もちろん、食べなくてもいい。いまは食の自由があるから、すごく贅沢だなって思っているんです。

――なるほど、選べる自由があるんですね。

中島 「マクロビオティックってすごく狭い幅から、選んで食べなきゃ行けないんでしょ?」と思われたりするけれど、じつはどちらの美味しさも知っていて、どちらから選んでもいいんです。しかも薬も要らない、病気知らずになるという超広い選択肢がある(笑)。

――普通の人は一方しか知らないわけで……。

中島 ある意味でかわいそうですよね。玄米の本当の美味しさを知らないんだ!とか。断食後の一杯のお味噌汁の染み渡るような美味しさを知ってもらいたいなとか。

身近なことから世界に広がっていく

――食べ方ばかりに頭がいきますが、感覚がとても大事なんですね。

中島 断食後にいきなり濃いコーヒー飲んだら、胃が痛くなりませんか? コーヒーを飲むことがいけないわけじゃないけれど、そういう自分への食の選び方みたいなものを知っておくといいですよね。断食後だったら、病み上がりにコーヒーより、お味噌汁やおかゆがホッとすると思うし、やっぱりそのホッとするものの作り方も学ばないとね。あと、マクロビオティックの好きなところは、やればやるほど環境にも負荷がかからないところですね。

――食べ物だけにとどまらないバックグラウンドがありますよね。

中島 本当に広がりまくり。いまの社会って、環境問題を話し合う会議の席にペットボトルのお茶とコンビニ弁当が置いてあるような矛盾を抱えて生きているじゃないですか? (その矛盾を変えていくには)みんなで気がついていくことが必要だと思うんです。食事もそんなに手間をかけなくても美味しいものは作れるし、シンプルでも栄養が摂れて、かえって心も体も満足する。みんながそれに気づいて、お肉を食べる回数を減らすとかしていけば……。

――全体が変わると?

中島 そう。全体が変わる。肉が悪いということじゃなく、その背後にある森林伐採とかホルモン剤の残った糞尿の問題も解決するし、自然農や種の問題も解決していくし。だから食にとどまらないんです。あなたが週に一回でも玄米をよく噛んで食べれば、社会全体にも影響があるんですよ。

――まずは自分が心地よくて変化していくことを大事にする。でも、そこ先に大きなビジョン、夢がありますね。

中島 そうなんです。身近なことのようでいて、私たち一人一人が関わっていることって、じつはとても規模が大きいんです。

注1 World-Wide Opportunities on Organic Farms(世界に広がる有機農場での機会)…有機農場とそこで働きたい・学びたい人をつなぐシステム。1971年にイギリスで始まり、世界60ヵ国以上に広まっている。

中島デコ Deco Nakajima
1958年、東京生まれ。16歳でマクロビオティックに出会い、25歳から本格的に学びはじめる。1986年から自宅にて料理教室を開く。2度の結婚で2男3女の母となり、5人の子供を育てあげた経験をもとにした料理指導が多くの母親たちの支持と共感を得る。1999年、千葉県いすみ市に田畑つき古民家スペース「ブラウンズフィールド」を開き、世界各国から集まる若者たちとともに持続可能な自給的生活をめざす。ブラウンズフィールド内に、週末カフェ「ライステラス」、イベント宿泊スペース「サグラダコミンカ」、ナチュラルオーベルジュ「慈慈の邸」をオープン。2016年、BF Books を立ち上げ『ブラウンズフィールドの丸いテーブル』を出版。現在、10人前後のスタッフと共同生活し、子供や孫たちに囲まれ、サスティナブルスクールや各種イベント、ワークショップの企画運営をしつつ、講演会やマクロビオティック料理講師として活躍中。料理本やエッセイ等、著書多数。
★ブラウンズフィールド http://www.brownsfield-jp.com