「ぶっ壊れて自由になる」というところは、大杉栄と一緒なのかなと思いますね(栗原康インタビュー②)

いまから百年ほど前、大正時代という黄昏の時代に、ちょっと毛色の変わった日本人がいました。
大杉栄。——過去の時代の記憶の砂浜から、その半ば埋もれてしまった名前を掘り起こすと、アナキズム、無政府主義といった言葉とともに、《自由》というつよい言葉が浮かび上がってきます。

人の意識の奥底に眠っているその衝動を肯定し、生きる力へと変えていく……危険思想と呼ばれ、闇へと葬られたアナキズムは、いまの時代にこそ求められるスピリットを秘めているのかもしれません。

大杉栄とアナキズムの研究者として活躍する栗原康さん。彼の存在を知った時、その踊り狂うような自由な文才に惹かれ、もっと大杉のことを掘り下げ、できればたくさんの人に伝えたい気持ちに駆られました。

ハンカチーフ・ブックスの拠点である葉山は、知る人ぞ知る大杉栄ゆかりの土地。2018年12月26日、そんないわくつきの場所に栗原さんをお招きし、午後のひととき、ゆっくりと大杉の影を追いかけました。今回はその後編(前編はこちら)。

フリーダムの語源は「フレンド」

——栗原さんは、どんな状態が自由だと思いますか?

栗原 たぶん諸説あるんでしょうけど、フリーダム(freedom)の語源がフレンド(friend)から来ているっていう話があるんです。確かに友達どうしの関係って、支配がないですよね? 会社の上司と部下、家庭の夫と妻の関係には支配や上下関係がありますが、友人関係は違うでしょう。大学でノートをとってくれるからいい友達って、それは友達じゃない(笑)。そういう利害関係がなくても一緒にいられる存在というか……。

——子供の頃の友達とか?

栗原 ええ。急にヘンな遊びとか始めちゃう子とかいるじゃないですか。突然、それまでの遊びのルールをぶっ壊してしまう。そういう子と遊んでいると楽しくて、時間も忘れて遊んでしまう。ああ、こんなおもしれえ遊びがあったのかと思わされる。

でもそれで、この遊びを教えてやったんだから、おまえカネだせよとか、オレに従えとかいう友だちはいないですよね。人が人にそうやって接していくのがフリーダムです。そういうふうに挫折でなくても、自分がぶっ壊れる瞬間ってありますよね。

——同じ自由でも、リバティ(liberty)は権利とか、勝ち取るようなイメージがありますよね。そういう自由は好きじゃない?

栗原 僕はあまり好きじゃないですね。法とか秩序の匂いがするというか。まあ、ある分には全部使いますけど(笑)。

——どちらかと言うと、共産主義の人たちはリバティで、アナキズムの人たちはフリーダムなんじゃないかっていう。

栗原 そう言っちゃいましょうか(笑)。もっと当たり前のことを言えば、リベラリストのいう自由がリバティですね。

——権利とか責任とか言うと、ちょっと理屈っぽいような感じがするんです。大杉栄はその理屈を超えようとしていたわけで。

栗原 理屈を越えるために超理屈をこねるみたいな感じでしょうか(笑)。

——で、『近代思想』(注1)みたいな立派な雑誌を作って、評価も得られたのに、2年ぐらいで飽きちゃって……。

栗原 検閲がきびしかったので、弾圧されないギリギリのラインでアナキズムを宣伝して、がんばってがんばって、ようやく仲間ができはじめたら、恋愛事件で全部ぶっ壊してしまったという(笑)。 それがこの場所(葉山)です。

自由恋愛というルール

——「日陰茶屋事件」の話がまた出てきましたね。大杉を語るうえで避けては通れないというか……世間的にはスキャンダルということになりますが、栗原さんはどう評価していますか?

栗原 さっき話した大失敗の話ともつながると思うんですけど、大杉と伊藤野枝にとってはそういう経験だったのかなと。

——たしかに大失敗ですよね。

栗原 もちろん、ネガティブな意味だけではなく、もともと大杉は自由恋愛論を唱えていて、それで家父長制をぶっ潰そうとしていたわけです。はじめから言っちゃいけないことなんてない、やっちゃいけないことなんてない。いつどこで誰とつきあおうと自由なんだから、世の中で不倫と言われようがそんなのは上等だ、3人でつきあおうが4人でつきあおうが全部自由だと。

——家父長制を壊すという以上、そうなりますね。

栗原 で、実際に自由恋愛をやってみるわけですが、その時の大杉って恋愛を頭で考える人だったんじゃないかと思うんですね。大杉は、伊藤野枝、神近市子、内縁の妻だった堀保子と四角関係になって、おおもめにもめそうになった時、自由恋愛には3つのルールがあると宣言するわけです。

経済的に自立していること、別居していること、性的生活も含めてお互いの自由を求めること……結局、いろいろ言いながらルールとか作ってしまって、でも、それって支配でしょう? オレとつきあいたかったら、この掟に従いたまえと。

——確かにそうですね。

栗原 そもそも、女性3人をはべらせているわけで、男優位なところがあって、そこにルールまでつくっちゃう。まあ、大杉からしたら4人でつきあうにはそれしかなかったんでしょうが、その結果、堀保子はふざけるなと言って大杉をなじり、神近は新しい女になりたいので、自由恋愛を引き受け……。でも、伊藤野枝は、ルールなんて糞食らえって、全部破って、大杉のところに転がり込んで、そのままねんごろになって奪っていくという。それはもう圧勝しますよね(笑)。

ぶっ壊れて自由になる

——その流れのなかで事件が起こるわけですね。

栗原 ええ。大杉栄が(静養先の葉山の日陰茶屋で)神近に刺されて、それがスキャンダルになり、周囲から徹底的にたたかれるんです。おまえらがいう新しい社会というのは、こういうみだらなことだったのかと。

——まあ、それは言われるかも。

栗原 まわりの社会主義者からも責め立てられ、『近代思想』を出して以来、人気者だった大杉のまわりからあっという間に人が去って、完全に孤立してしまう。大杉にとっては自由恋愛が壊れただけじゃなく、それまで蓄積してきた社会主義運動自体もぶっ壊れているんですよ。あらゆる意味でどん底というか……ただ、そうやってすべてを失ってしまった時、多分、いちばんものを考えたと思うんです。

——どんなことを考えたと思いますか?

栗原 大杉が伊藤野枝に惹かれたのは、彼女から血の滴るような情動、情熱を感じたからなんですが、アナキズムってそれでいいんだと、改めて感じとったところはあるでしょうね。 血沸き、肉躍る。ただそれだけでいいんだと。それから、全部失ってしまったからこそ、クズで上等、不道徳で上等、悪魔で上等と開き直れたところもあるかもしれない。

そうやって這い上がっていった時の大杉って、自由恋愛という型にも、社会主義の理想にも縛られない……社会主義の運動をやっていくうちに、運動を立ち上げるためにはこうしなければいけないとか、そういう枠組みに縛られたところもあったんだと思いますが、それすらふっ飛ばしてしまう。

——原点に帰れたわけですね。

栗原 僕自身が体験したことはちっちゃいかもしれないですけど、ぶっ壊れて自由になるというのはいっしょなのかなと。話しをもどすと、そういう大杉に惹かれて、彼よりもクズな連中がガンガン集まってきて、それが大正アナキズムを生み出していく。まさに竹中労が書いた『黒旗水滸伝』(注2)のような……。

——日影茶屋事件が、覚醒レベルを上げるターニングポイントになった?

栗原 アナキストとして、もう一回アナーキーなものを取り戻していく。社会主義のこれが正しい起源だというものもぶっ壊して、真にアナーキーなものをつかんだのだと思います。

女性たちが最初に目覚める

——日陰茶屋事件が1916年、それで関東大震災が1923年……大杉と伊藤野枝はその直後に虐殺されるわけですが、そこに向かっていく数年間が彼の活動の最も濃い時期だったと。

栗原 そうですね。時期的にも、いまから百年前がちょうど米騒動の時期になります。

——世の中も大きく動き出しはじめますね。ただ、いまは「米騒動から百年」と言っても、ピンと来る人はほぼいません(笑)。

栗原 米騒動というのは、富山で始まって、女一揆とか言われているんですけど、本当は大都市で大規模に起こった、文字通りの大暴動だったんですよ。僕はいちばん多い数をとるのが好きなんで、延べ人数1000万人とか言っていますが……。

——全国に広がっていったんですよね。

栗原 まあ、実際は数百万人規模だったと思うんですけど、ほぼ全国ですね。この頃、工業化が進んで農業人口が減って米不足になり、そこに米の投機につぐ投機がおこって値段がむちゃくちゃハネ上がり、米を買えなくて困っていたのに、シベリア出兵で兵糧米を送ったり……いろいろな背景があると言われていますが、すごいと思うのは女性たちの瞬発力ですよね。

——瞬発力?

栗原 男って、金がなくて米が食えないと動けないんですよ。どうしたらいいかわからなくて、無駄に政治集会開いたりとかして(笑)。でも、政治家が何か言っても変わらないですからね。結局、女性たちが井戸端会議を開いて、最初は米屋に行って「米の値段を安くして」と交渉するわけですが、だんだん声が高まってきて、出せなかったらこの店潰すわよと。それで集団でグワーッと押し寄せて、いざ米が出はじめると、あるだけのお金を出して米を持っていく。お金がない人はそのまま持ちだしていく。略奪状態になっていくわけですね。

——大杉は米騒動を目撃していますよね。どう語っているんですか?

栗原 大杉は、「ああ愉快なり」と言っています(笑)。あと「窮民が米を奪うのは当然のことなり」とも。実際、女性たちの感覚としては、獲るのは当たり前だと思うんですね、食わなきゃ死んでしまうし……。 世の中では、メシを食うには金を払って米を買うのが常識で、男性はそっちの感覚にのめり込んでいるわけですが、女性たちがその常識をかち割って米を奪い取っていくんですね。

——こういう暴動って、何か悪いことのようにとらえる人もいますよね。

栗原 ほんとうに何でもかんでも好き勝手なことをするのは、たいがい支配する側なんですよ。米が買えなくて死にそうだと言っているのに、奪われないように軍隊を派遣して、発砲してきたり……。そういう強い人間が弱い人間をなぶり殺していくような暴力はダメだと思いますが、それに抗う力は肯定したいですよね。

——抗う力というのは、栗原さんの本でも書かれていますが(注3)、たいていの場合、抑圧されますよね? でも、生命が目覚める時というのは、その抑圧に抗おうとするわけで……。

栗原 人を無駄に殴ったりするのは意味がないし、僕もやめたほうがいいじゃないかと思いますが、人が人に支配されていてこのままでは何も言えないという時に、思いっきり声をあげて権力にたちむかっていく。そういう力は大正時代だけじゃなく、いまでも必要だと思います。

「日常」に働きかけるヒント

——アナキズムって、べつに特殊なものでも、危険なものでもないと思うんです。大杉の生きた時代が特殊だったから、彼自身、普通じゃない死に方してしまったわけですが……。

栗原 変なこと言ってないんですよね(笑)。普通にそうなんじゃないですかっていうことが、いま読み返しても多いですし。

——大杉はなぜ殺されたんだと思いますか?注4

栗原 さっきの身体の話とつながると思いますが、日本という国家が作りたいと思っていた身体の型からすると、非生産的でもいいとか、クズでもいいと言っていた大杉はいてはいけない存在だったんでしょうね。「より良く」「より生産的に」ということにとらわれている人たちをどう解放するかということが、大杉は課題だったと思いますし。

しかも大杉は、民衆がそういう「生産的な身体」から離れていこうとするのを意図的に煽ってやろうとしていたわけですからね。国からしたらそんな人間は始末して、それを見せしめにして、恐怖で言うことをきかせてやろうと思っていたんでしょう。

——大杉が殺されて2013年が没後90年だったので、当時、彼の語録を出したいと思って、企画したことがあったんです。「ニーチェ語録」(注5)とかすごく流行ってましたから。

栗原 ああ、ありましたね。

——ただ、その時はまだ時期でなかったというか、実現に至らず……でも、いまってだいぶ変わってきたと思うんですね。栗原さんは日常での体感をベースにして話されていますが、いまの時代の人に向けてのメッセージになっているというか。

栗原 大杉はつねに「その人の日常にどう働きかけるか」ということを考えていました。大事なのは「そのヒントがどこにあるか」ということだけだと。だからこそ、自分の日常をそのまんまさらしていく。僕自身、大杉のそういうところがおもしろいと思っているので、自分の日常を書くことが多いのかもしれません。たとえば、「人に迷惑をかけるので有給が取れない」って自主規制していた人が、僕の本を読んで「勇気を出したら取れた!」と言ってもらえるだけでも嬉しいですね。

——はたから見たら小さな一歩でも、本人にとっては大きかったりするんですよね。

栗原 ええ。一人が動いたら、まわりにも影響を及ぼしますしね。まあ、何の反応がなくても、もちろん書くとは思うんですが(笑)。

「さぼる身体」を手に入れる

——最後に、身体と社会のつながりのような話があちこちで出てきましたが、栗原さんは人の身体についてどうとらえているんでしょうか?

栗原 僕の入口は大杉栄からなんですけど、彼が読んでいたのはニーチェとベルクソンなんですね(注6)。(大杉が残した名文の一つと言われている)「生の拡充」(注7)の根っこは、ニーチェの力の思想です。まわりの評価なんて関係ない、自分のやることなすこと、そしてその喜びは、自分自身で噛みしめるものだと。大杉は「自己の尊大さをいかに感じとるかが大事だ」と言っています。

——尊大さ?

栗原 偉大さっていうことですよね。それまで自分にはできないって思っていたことができるようになる、それまでやろうとも思ってもいなかったことができるようになる。そこに力の高まりを感じて「オレすげえ!」ってなる。僕だったら、本を読んだり、文章を書いたり、勉強が好きなわけですが、でも、試験が好きなわけではない。 そういう基準とかまわりの評価が欲しくて本を読んでいるわけではなく、いつも根っこには高校生の時、大杉の「自我の棄脱」を読んだときの感覚があるんです。

それまでの自分がぶっ壊れて、いままで思ってもみなかったようなことを考えはじめる、やりはじめる。 どんなにまじめな人でも、一冊本を読んだだけで頭をかち割られて、全然違うことをやりはじめることってありますよね。そういう時って、「こりゃおもしろいぞ!」って身体が震えてしまう、心臓がバクバクするような生の躍動を感じてしまう。それが自分の力が高まるってことですよね。その結果、さぼる身体が突然身についたり(笑)。

——おお、さぼる身体。

栗原 そういうことがあるたびに瞬発力がついていくというか……、ドロップアウトすることを覚えたりね。一般的に見たら自殺行為なのかもしれないですが(笑)、これまでの自分とは違う身体、違う物の考え方を覚えていく、それが大杉にとっての生の拡充なんだと思いますね。

——面白いですね。一般のトレーニングとは概念が逆というか、さぼる身体を手に入れることもトレーニングなんですね。

栗原 ええ。それが、読書というごく日常的な行為を通じてだったり。

——トレーニングだからと、ジムに通う必要がないというか。そういう凝り固まった発想だと逆に不自由かもしれないですし。

栗原 まあ、アスリートとかも発想は同じなのかもしんないですけどね。 これまでの筋肉のつけ方だとこれ以上走れない、だからその身体を壊すみたいな……そういえば、同じことを長渕剛が言ってたような気がしますけど(笑)。

——長渕剛が好きなんですよね。アナキズムとバッティングしないんですか?(笑)

栗原 バッティングするところもいっぱいあります。でも、共通するところもありますね、何度も何度も捨てようとするところとか。

——それまでの自分を捨てる手段としての筋トレみたいな? 鍛えて強くするというより。

栗原 ええ。ずっと坐禅しているようなものかもしれないですよね。 自分の身体を無にしていく。身を益なきものに思いなす。もちろん、僕みたいに読書がチョイスでもいいし、音楽の人もいれば、踊りの人もいる。テレビかもしれないし、友達とのおしゃべりでも。生きている限り、ちょっとしたことで、突然、その人や友人の間にアナキズムが立ちあがることがあります。そういう芽を摘まないように、自分の、自分たちの身体を訓練していくことが大事ですね。できっこないをやらなくちゃ!

2019年9月1日には、葉山の茅山荘で禅僧の藤田一照さんとのトークショーも実現。

注1 『近代思想』…1912年、大杉栄・荒畑寒村によって創刊された社会主義文芸雑誌。労働運動に転じるため1914年廃刊。
注2 竹中労・かわぐちかいじ『新装版・黒旗水滸伝1〜4』(皓星社 2012年)
注3 『現代暴力論〜「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)
注4 1923年、関東大震災の直後、伊藤野枝、甥の橘宗一とともに憲兵隊司令部で虐殺された。
注5 白鳥春彦『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トウェンティワン)
注6 フーリードリヒ・ニーチェ(1844〜1900年)。ドイツの哲学者。アンリ・ベルクソン(1859〜1941年)。フランスの哲学者。ともに実存主義の流れをくむ生の哲学を展開した。
注7 「生の拡充」(第1次『近代思想』五号 1913年)

栗原康 Yasushi Kurihara
1979年、埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、同大学院の政治学研究科の博士後期課程を満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。『大杉栄伝〜永遠のアナキズム』(夜光社)が、2014年、第5回いける本大賞を受賞。踊り狂うような個性あふれる文体で、『はたらかないで、たらふく食べたい〜「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)、『現代暴力論〜「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)、『村に火をつけ、白痴になれ〜伊藤野枝伝』(岩波書店)、『死してなお踊れ〜一遍上人伝』(河出書房新社)、『アナキズム〜一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書)などの著作を発表。稀有な感性をもった政治学者として注目を集める。