「他人に決められた生き方からドロップアウトしていいんだ」と、大杉栄に教えてもらった気がします(栗原康インタビュー①)

いまから百年ほど前、大正時代という黄昏の時代に、ちょっと毛色の変わった日本人がいました。
大杉栄。——過去の時代の記憶の砂浜から、その半ば埋もれてしまった名前を掘り起こすと、アナキズム、無政府主義といった言葉とともに、《自由》というつよい言葉が浮かび上がってきます。

人の意識の奥底に眠っているその衝動を肯定し、生きる力へと変えていく……危険思想と呼ばれ、闇へと葬られたアナキズムは、いまの時代にこそ求められるスピリットを秘めているのかもしれません。

大杉栄とアナキズムの研究者として活躍する栗原康さん。彼の存在を知った時、その踊り狂うような自由な文才に惹かれ、もっと大杉のことを掘り下げ、できればたくさんの人に伝えたい気持ちに駆られました。

ハンカチーフ・ブックスの拠点である葉山は、知る人ぞ知る大杉栄ゆかりの土地。2018年12月26日、そんないわくつきの場所に栗原さんをお招きし、午後のひととき、ゆっくりと大杉の影を追いかけました。今回はその前編。

満員電車からのドロップアウト

——栗原さんがアナキズムを知ったのは、大杉栄がきっかけだったんですよね?

栗原 興味を持ったのは、高校2年の終わり頃だったと思います。もともとは埴谷雄高の『死霊』(注1)という小説が好きで。当時、その最新刊が出て、なんかすごく感動したんですけど、難しくて意味がわからない。自分の言葉で人にしゃべれないというか……。それで「どういうことを言っているんだろう?」といろいろな解説を読んでみたら、アナキズムとかニヒリズムという言葉が出てくるわけです。

——なんと、埴谷さんからなんですね。

栗原 ええ。それでニーチェとか読んでみたんですが、ますますわからない(笑)。もうひとつのアナキズムは、高校の教科書に大杉栄の名前が出てきますから、関東大震災の時に虐殺されたとか……ずっと気になっていたんです。

——実際に読んだのは?

栗原 当時、御茶ノ水の駿台予備校に通っていたんですが、日本史の福井伸一先生がめっちゃ左翼で、授業で大杉のことを熱を入れて語っていたんです。試験じゃほとんどでないのに10分くらい(笑)。書店に行ってみたら、当時、鎌田慧さんが雑誌に連載していた大杉の評伝が評判を呼んでいたこともあって、その関連書が並んでいて、これは何かあるなと、思わず『大杉栄評論集』を手に取ったのがきっかけでしたね(注2)。

——実際に読んでみてどうでしたか? たしか満員電車のなかで……。

栗原 そう。当時、千葉の市川高校に通っていて、埼玉の実家から毎日2時間くらい満員電車で通学していたんですが、これが僕のなかでは極度につらい経験で。ぎゅうぎゅう詰めで死にそうになって、しかも朝の通勤って人が人でなくなるところがあるじゃないですか。 最初はおかしいなと思っていたんですけれど、2年も通っていると当たり前になってきて。肩をぶつけられただけなのに、「チッ」と舌打ちしたりね(笑)。

——そうなりますよね。

栗原 で、ある時、朝食でバターをたっぷり塗ったパンを食べて出たら、電車の中で急に気持ち悪くなって、バーっと吐いてしまったんです。それがサラリーマンの足にかかってしまって……苦しんでいるのに誰も助けてくれない(笑)。しかも、それに気づいたサラリーマンが、網棚からカバンを取り出して、僕のことをいきなりバシバシと殴りだして。

痛いというよりこわくて、ドアが開いた瞬間、「すみません、すみません」と言いながら逃げ出したという。それ以来、つらくなったらちょくちょく途中下車するようになって、駅のベンチだったり、公園だったり、コーヒーショップだったり……そこで読書でもしようと思って、たまたま買っていたのが先ほどの『大杉栄評論集』だったんです。

こんなに自由に生きられるのか

——ああ、ここで出会ったんですね。

栗原 そのなかにあった「自我の棄脱」(注3)という文章の冒頭に、「兵隊のあとについて歩いていく。ひとりでに足並が兵隊のそれと揃う」とあって。そんなの本当は自分の歩き方じゃなく、他人に強制された歩みでしかないのに、みんなで同じリズムで歩いているとあたかも本当の自分であるかのように思えてきてしまう。で、そういった他人に強制された自分から飛びだしていこうよって、こう言うんですね。

「百合の皮をむく。むいてもむいても皮がある。ついに最後の皮をむくと百合そのものはなにもなくなる」

その何もなくなったゼロの瞬間から、本当の自分が生まれるんだと。……それを読んだ瞬間、ガーンと自分がぶっ壊れたような衝撃をうけたんです。これ、まんま満員電車じゃんって。

——そこから大杉の本を読むようになった?

栗原 ええ。しばらく大杉の評論集を読んだり、「自叙伝」や「日本脱出記」を読んで(注4)、狂っているなと。こんな人間がいたのかと。

——大杉の第一印象は、狂ってる(笑)。

栗原 狂ってる、いかれてる。人ってこんなに自由奔放に生きられるものなんだと。生き方もそうだし、表現もそうですよね。 いまちょうど葉山ですけれど、恋愛で女性に刺された話とかを、めちゃおもしろおかしく書いたりするじゃないですか。あきらかに大失敗のはずなのに……。

——有名な日影茶屋事件ですね(注5)。

栗原 本当に野生児というか、そのまんま生きているというか……。それまで満員電車に乗って高校に通う、いい大学に行く、そしてサラリーマンになるというのがあたりまえだったんですが、そういうのが馬鹿らしく思えてきて。そうじゃない生き方をやっている人が普通にいたんだと。大杉から、「他人によって決められた生き方からドロップアウトしていいんだ」と教えてもらったような気がしました。

——大杉栄の魅力って伝わりづらいと思うんです。「どんな人?」って聞かれた時、どう答えるのが一番いいと思いますか? 

栗原 そうですねえ……もともとめちゃくちゃ暴力的な人で、10代の頃から暴力沙汰を起こして、20〜30代になっても暴動をあおって捕まったり……そういう強烈な個性みたいなイメージも強いし、僕はそこも大好きなんですけれど、もう一方で優しいですよね。

——どういう優しさですか、それは?

栗原 大杉のまわりって、大杉よりももっとクソ野郎と言うか(笑)、ダメな人間たちがいっぱい集まってきていて、そのなかには本当に何にもしないやつもいれば、いっしょに寝泊まりしていても一言もしゃべんないやつとか、肝心なときにバックレてしまっていないやつとか。

でも、大杉は彼らを馬鹿にしないんですよ。多分、大杉本人がクズみたいなことを言われながら、「クズで上等!」と突破してきたところがあったからなんでしょうけど。

——怖そうだけど、じつはすごく優しい。

栗原 世の中をドロップアウトしてしまって、クズで、非生産的だって言われている人たちでも、楽しくおもしろく生きられる……それをありのままに表現しているのが大杉だったりするわけですね。そういうところに惹かれるのかな……ちょっと一言で答えられなくて申し訳ないですけど。

落ちこぼれの身体感覚

——大杉の生きていた時代、社会主義運動が広がり、共産主義も生まれますが、大杉って異質ですよね? ベースが全然違うというか。

栗原 他の社会主義者との違いに関係してくると思いますが、大杉って吃音(きつおん)持ちなんです。 じつはそれで小さい頃、お母さんからDVを受ける。柱に縄で縛りつけられ、箒で叩かれて。なぜかと言うと、お父さんが職業軍人で、軍人になるために育てられていたからです。軍人って、明治国家からすると日本の国民の象徴ですよね? だから、模範的な身体じゃなきゃならないんです。テキパキと正確な日本語がしゃべれるかどうかが求められていて、それで……。

——厳しくしつけられたわけですね。

栗原 お母さんは良かれと思ってしつけたのかもしれませんし、実際、名古屋の陸軍幼年学校というエリートコースに入りますが、そこでも上官から吃音でいじめられ……。まあ、男色をやりまくったり、上官のタバコを盗んで吸ったり、喧嘩をしたり、大杉の素行が悪かったからでもあるんですが……(笑)。

彼はカ行が言えないから、上官に「下弦の月と言ってみろ」と言われ、「上弦ではありません」と答えて、ボコッとやられる(笑)。でも、おもしろいのは、それでも言うことを聞かないわけです。ずっと吃音のまま……。

——矯正したりせず?

栗原 ええ。標準から反れた身体なんですけれど、大杉のなかには「それでいいじゃないか」というところがあるんですよ。同じ国語でしゃべれと言われたら、そういうモデルのなかに自分の身体が矯正されていくのが普通ですが、人の身体の使い方ってそんな標準的なものだけじゃないだろうと。吃音だからこそ思いが伝わることがあったりしますし。外れたものを変えず、そのまんまでいく……本人のなかのすごく悔しい経験とセットで、そういう思いがあったんだという気がします。

——普通、強制されたら萎縮しますよね?

栗原 当時の日本では、軍人は勤労者のモデルでもあったというか、毎日同じ時間に起きて、同じ時間に働いて……そうした標準的な身体づくりを小学校の頃からずっと教え込まれていくわけですが、大杉にすれば、そんなものに従わなくたっていいんだ、という感じだったんでしょう。実際、従えない人もいるし、そういう人たちは社会のなかでクズとか、落ちこぼれって言われるんだと思いますが、その落ちこぼれの身体の感覚からものを考え、発していく……それが大杉の大事にした生き方だったんだと思いますね。

アナキズムは「無支配主義」

——そもそも、アナキズムって何でしょうか? テロと結びつくような破壊的なイメージがありますが、本質は違いますよね?

栗原 アナキズムの思想自体、さかのぼっていくと、中国であれば老子や荘子もそうだし、最近興味を持っている仏教では、一遍上人もそうだろうし……(注6)。ただ、僕としては語源から説明するのがいちばんラクかなと思いますね。

——アナーキー(anarchy)にイズム(ism)がついて、アナキズム……。

栗原 ええ。このアナーキーって、アン・アルケーから来ていて、アン(an)は否定の言葉で「〜がない」という接頭語、アルケー(arkhē)は「支配」を意味しているので、《支配のない状態》がアナーキーということになります。無政府主義という訳語も、政府=支配なので間違いではないですし、なにか「おおっ!」という感じがありますが(笑)、正確には「無支配主義」がいいのかなと思いますね。

——大杉栄が書いた有名な「僕は精神が好きだ」注7)という一文に、「社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる」とありますね。

栗原 支配のない状態をつくっていきましょうというのがアナキズムだとしても、それが理想だとか、絶対にまちがいのない正義だとか言ってしまうと、それ自体が支配になってしまう。旧ソ連も「共産主義」の名のもとにひどい支配をやっていましたが、もしかしたらアナキズムを絶対正義にしてしまうと、それ以上にどぎつくなるかもしれません。

たとえば、集団生活をして、そのなかで完璧に「無支配」をつくろうとしたとする。そしたら、いつのまにか声のデカいひとが「無支配」とは何かを決定するようになって、日常的に鼻につくそぶりをみせるやつがいたら、それは支配だ、断罪するべきだとか言って糾弾していたり……。

——かえって支配的になる?

栗原 ええ、そうなったら何とでも言えてしまいますからね(笑)。

——大杉は、当時進行していたロシア革命について、いくら革命が起ころうと、上がすげ変わるだけで支配の構造は変わらないと言っています(注8)。

栗原 たいがい長いものに巻かれよう、みたいになっちゃいますからね。せっかくいま革命が進行しているんだから、ちょっとくらい目をつむってとか言う人が出てきて……(笑)。それじゃあダメなんだという思いが、大杉には明確にあったんでしょう。

——自由とは何か? 本質的にわかっていないとなかなか言えないですよね?

栗原 ええ。もちろん、民衆が立ち上がること自体は評価するわけです、そういう力はとても大事なんだと。ただ、国家をたてると、あるいは、理想や絶対正義のようなものをたてて人を従わせはじめると、それまでと同じことが起こってしまう。

「より良くなれ」という呪縛

——このあたり、現実に生きていくなかでもたえずつきまとう問題ですね。支配されない生き方を実践することって難しいわけで……。栗原さんは、アナキズムという思想をどんなふうにとらえていますか?

栗原 自分の場合、「ああ、これがアナキズムなんだな」と思うのは、何かで大失敗した時ですね。たとえば、恋愛の話であったり……。本当に難しいなと思うのは、「結婚制度はよくない」と頭でわかっていても、気がついたらそこにとらわれ、がんじがらめになってしまう時があって。

——男が女を支配するみたいな?

栗原 ええ。30代前半の頃、ある女性とつきあいはじめたんですが、むこうは「つきあうなら結婚したい」って言ってくるんですね。その時は結婚しても自分たちの間で「夫/妻」みたいな役割をつくらなければいいじゃないかと思って、「じゃあ婚約しましょう」と。それで、当時は年収10万円くらいだったので……。

——年収が?

栗原 はい(笑)。まあ、年収10万円でもいいところはあって、「ゼクシイ」とか読むと婚約指輪は年収の3分の1だというので、なら3万円でいいのかと(笑)、指輪を買ってプレゼントしたり、料理つくれますアピールをしたり……。

——そこだけそういうのを使うんですね(笑)。当時は何をされていたんですか?

栗原 何もしていない(笑)。大学院がちょうど終わった時期で、相手からは、一緒に暮らすなら博士論文出して、就職活動しろよとか言われ、無理やり頑張ってみるかと。でも、教授との関係が悪かったこともあって博論は出せず、それなら週5日働けと言われて、公務員試験の予備校のバイトを見つけて報告したら「アルバイトは仕事じゃない!」とか言われて(笑)。最後の頃になると、毎日毎日、「今日はどういう就活したの?」って聞かれて、電話で1時間くらい説教されて、そのあと吐いたり。

——ああ、吐いたり……。

栗原 そこまで来て自分でもどうでもよくなってしまって、反原発運動が盛り上がっていた時期だったのでヘンなビラつくって、「最高のビラができた!」とか言ったら、ブチっと切れて(笑)。最後に三行半つきつけられて、「ああ、人生全部終わった」と思ったんですが……、終わったと思った瞬間、身体が軽くなった気がしたんですね。それで変な力が湧き上がってきて。

就活のために博論だせとか言われてきたけれど、もう関係ねえ!と思ったら、ヘンな言葉がバンバン出てきて、そのいきおいで(実質的な処女作となる)『大杉栄伝』(注9)ができちゃった。

——恋愛も、会社も、ものすごい引力がありますよね。普段いろいろなことを言っていても、巻き込まれると自分が試されるというか。

栗原 ある種の「より良くなれ」、ですよね。家庭に入った時、夫として妻を養えるような修行をずっと積まされるみたいな。で、実際にその回路のなかに入っちゃうと、自分自身、より良くなれ、より良くなれ……と(笑)。そういうものが全部吹っ飛んだ瞬間、おもしろいもので、自分が何にとらわれていたのかハッキリわかったわけです。自分はもう死んだようなものだから、死んだつもりで生きたらいいじゃないかと、それが自由なんだなと思った瞬間があって。

——その時にアナキズムが立ち上がってくるというか。自分の体験がオーバーラップされ、リアルな思想になるという……。

栗原 そうですね。あらためてわかった、みたいな。高校生の時、満員電車で叩かれた経験と似ているかもしれないですね。

問われるのは「反射神経」

——結婚だったり、仕事だったり……誰もが似たような体験をしていると思いますが、栗原さんが最後に選んだのは自由だったと。

栗原 あとづけかもしれないですけど、そういう時に大杉の言う「自我の棄脱」をやっているのかもしれません。自分にとって当たり前だった現実がぶっ壊れていく感覚を手にするというか……。

——そうか、はからずも自我が壊れる体験が、かえって人を目覚めさせると。

栗原 難しいもので、うまくいっている時って、そういうことを考えもしないと思うんです。うまくいっているその経験がベースになって、それを良くしていこうとしかしない。むしろ、そういったものが壊れた瞬間、何ものにも縛られないその人の生がふっと出てくる……ありきたりですが、そういう瞬間瞬間を大事にしていきたいと思いますね。

——アナキズムは特別なものでなく、日常のなかで人知れず実践できる……。

栗原 僕はそう思っています。ちょっとした失敗のなかにアナキズムがひそんでいる。

——とはいえ、失敗ってしたくないし、傷つくからいやですよね? 振られたいと思って恋愛する人もいないだろうし。

栗原 僕だって振られたくはないですよ(笑)。

——ですけど、それを悪いこと、不幸なことに結びつけてしまわず、一つの必然と受け止めると意味が変わってくる。アナキズムの本質ももっと伝わるのかなと思いました。

栗原 生産的であるというより、ある種の自己破壊かもしれないですけどね。

——まあ、漫然と日常を過ごしているだけでは、なかなか壊せないですよね。何かが起きないと。

栗原 といっても、トラブルを求めているわけではないです(笑)。それよりも、ちょっと敏感になっているだけで……たとえば、まわりの友だちがぶっ壊れているのを見て、自分に火がついたりすることもあると思うんですね。 

——自分が直接体験しなくても、要は感覚があれば。

栗原 ええ。反射神経みたいなものだと思っています。


注1 埴谷雄高『死霊』(講談社)。1946年から断続的に発表。栗原さんの高校時代に発表されたのは、「第9章《虚體》論〜大宇宙の夢」。
注2 鎌田慧『大杉榮〜自由への疾走』(岩波書店 1997年)。栗原さんが手にしたのは、飛鳥井雅道・編纂『大杉栄評論集』(岩波書店 1996年)
注3 「自我の棄脱」(『新潮』五月号 1915年)
注4 「日本脱出記」(『改造』1923年)、「自叙伝」(『改造』1921〜23年)
注5 日影茶屋事件…1916年、自由恋愛をめぐる女性関係のもつれから、大杉が葉山の日影茶屋で恋愛相手の一人、神近市子に刺された事件。
注6 栗原康『死してなお踊れ〜一遍上人伝』(河出書房新社 2017年)
注7 「僕は精神が好きだ」(『文明批評』二号 1918年)
注8 「なぜ進行中の革命を擁護しないのか」(第三次『労働運動』七号(1922年)
注9 栗原康『大杉栄伝〜永遠のアナキズム』(夜光社 2013年)

栗原康 Yasushi Kurihara
1979年、埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、同大学院の政治学研究科の博士後期課程を満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。『大杉栄伝〜永遠のアナキズム』(夜光社)が、2014年、第5回いける本大賞を受賞。踊り狂うような個性あふれる文体で、『はたらかないで、たらふく食べたい〜「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)、『現代暴力論〜「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)、『村に火をつけ、白痴になれ〜伊藤野枝伝』(岩波書店)、『死してなお踊れ〜一遍上人伝』(河出書房新社)、『アナキズム〜一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書)などの著作を発表。稀有な感性をもった政治学者として注目を集める。