文化人類学者・辻信一さんが大事にしている「○○○の力」とは?

先日、「スローライフ」の提唱者で、
文化人類学者の辻信一さんにお会いしてきました。

これまでいろいろなところでお名前を耳にする機会があり、
勝手に親近感を持っていましたが。。。笑

今回、ゆかさんと一緒にお会いして、
根底にある世界観や哲学が思った以上に近く、
インタビューしていてびっくりする瞬間がかなりありました。

詳しいところは追ってシェアしたいと思いますので。。。
ここでは印象に残ったやりとりを、いくつかお伝えしますね。

たとえば、昨今のコロナについて。

そもそも、ウイルスをどんなふうにとらえたらいいのか?
辻さんはこんなふうにおっしゃいます。

「ウイルスを撲滅するというけれども、
海の中だけで10の31乗個も存在している。

同じ数のウイルスが空気中にも、土壌中にも存在するわけで、
僕たちはウイルスの海の中に生きている。

ウイルスはなくてはならない。。。

なにしろ、人類の進化は
ウイルスに支えられてきた面があるわけですから」

大学を退官され、海外をあちこち旅しようと計画していた去年の春、
コロナのパンデミックが急に訪れ、
それもままならなくなり。。。 

「でも、そのおかげであたらしい世界が開けてきた。
旅はできなくても、ずっとワクワクしていました」

ステイホームの期間、
辻さんは、コロナを通して興味を持ったウイルスのことを、
じっくり学ぶ時間に充てていたそうです。

「予想はしていたんですが、
ウイルス戦争だなんて言葉がすぐに出てきて。。。

そんな幼稚な物語でしか発想できないのは、
本当に深刻だなと。笑

自然に対して戦争をやってきて、
ヒトという種が滅びようという危機に瀕しているのに、
まだ戦おうとしているわけだよね。

そこは本当に愚かしい。。。」

でも、一方でこうも話されます。

「ワクチンを打つべきか悩む人もいますよね。

海外では、自分の免疫を高めることが大事だというと、
それは特権階級の考え方だと、
まわりからすごい批判されるそうなんです。

ワクチンを打つか打たないか。。。
僕はどちらもリスクがあると思う。

片方が正解で、片方が間違っているということではない。
それを知ることが一番大事なんじゃないかと。

悩んでいる自分を楽しむというかね。。。

本来、悩むというのは素晴らしいことなんです」

ワクチンを打つことも、打たないことも
本人の判断であり、選択であって、
どちらかが「正しい」という話ではない。。。

打つことが正しいわけでも、打たないことが正しいわけでもなく、
一人一人、そこには様々な局面がある。。。

ひとつの「正しさ」に居着いてしまえば確かにラクですが。。。
少しだけ立ち止まって、

「どちらでもないところ」

で悩んでみる。

そう、「悩む力」

僕が「正しさを主張すると、悩む力が減ってしまいますね」と問い返すと、
こんなふうに話されました。

「そうなんですよ。

科学というのはわかることではなく、
わからないことを提出する。
  

わからない。でも、わかろうとする。笑

それが人間の知性だと思うんですね」

どうでしょう? わからないと不安? 困る?

絶対の答えが欲しい?

僕自身、いろいろなことを取材しながら、
辻さんとまったくおなじことを感じてきました。

そう。物事はそんなに単純化できない。決めつけもできない。。。

でも、でもですよ。。。

生きていたら、つねに決断は迫られる。
何事かを決めないとならない。

だから、たくさん悩んでも、最後は腹をくくるしかない。

まわりの声に流されず、自分にとっての「正解」を見つけ、
自分で自分のすることを決めていく。。。

何が正しいかより、どう行動するか?

即断即決という名の「思考停止」より。。。笑
みなさん、もっともっと「悩む力」を大事にしましょう。

身体を整えることだって、まったくおなじ。

一つの健康法、食事法に答えがあるわけでなく、
いろいろな「正解」が存在している。。。

こんな言い方をすると、この世界に真理なんてないのか、
たがいが正しさを主張するだけの、虚しい世界なのか。。。

もしそう感じることがあったら、

「そうした正解に共通しているものは何か?」

と問いかけてみてください。

矛盾するもの、対立するもののなかに重なり合う事象を見出すこと、
つまり、同定すること。

そもそも、それが科学であり。。。

「共感」や「共有」の源泉であり。。。

少し前、藻谷浩介さんとのインタビューのキーワードになった、

蓋然性(がいぜんせい)

であったりするわけです。