「一生懸命願う気持ちは、時空を超えて人に伝わるものなんです」(大塚知明インタビュー①)

世界遺産に指定された吉野・高野山・熊野……山岳信仰の一大スポットとも言える紀伊山地の北端、古来、桜の名所として知られる吉野山を遠くに仰ぐ小高い山の一隅にご祈祷寺として名高い・大師山寺(真言宗醍醐派・大師山妙法寺)があります。

このお寺の住職をつとめる大塚知明さんは、弘法大師・空海が開いた真言密教の僧侶であると同時に、修験道のエキスパート。真言密教最大の荒行と言われる八千枚護摩供養をはじめ、厳しい修行を続けながら、メンタルはつねに平常心、人を包み込む優しさとわかりやすい法話で、由緒あるお寺を守りながら、若い山伏を育て、一般の人たちを山へ導き、さらには地元ラジオのパーソナリティを務めるなど、多岐にわたる活動を続けています。

今回は、吉野に訪れたご縁で知り合った大塚さんに行ったロング・インタビューを、前後編の二回に分けて紹介。祈りとは何なのか? 厳しい修行を続けるのはなぜか? 空海の遺した密教の本質とは何か? たっぷりと語っていただきました。今回はその前編(長沼敬憲)。

祈りは時空を超えて伝わる

――大塚さんが住職をされている大師山寺は、いわゆるご祈祷寺ですよね。実際に悩んだり、困っている人の助けになる力が求められると思うんです。これまでどのような修行をされてきたのでしょうか?

大塚 私はここで生まれて、生駒の平群町にある元山上千光寺という、修験道1300年間のお寺に、小学校3年生から仏教系の大学を卒業して京都の醍醐寺で一年間修業するまで行っていました。そこで育ち、こちらに帰ってきて暮らしています。住職としては、平成10年からですから20年ほどになりますね。

――お坊さんになろうと思ったきっかけは?

大塚 大学生の頃、お祭りの時に帰ってきた際、たくさんのおじいちゃん、おばあちゃんたちがお参りに来られていて、その方たちから「お坊さんになって帰ってくるんでしょ?」みたいなことを言われたんですね。もともとはお坊さんにはなりたくなかったんですが、「こんなに人に求められる仕事って、他にないのではないか」と思って、わりと安易な思いでお坊さんになったんです(笑)。

――ご両親もお坊さんだったんですよね?

大塚 はい。私の父の母もお坊さんでした。父は養子で、母方のほうが本筋で、母のお父さんがお坊さんだったんですね。だから、母も20歳の頃からこのお寺でご祈祷をしていたんです。子供のころから両親がずっと忙しくて、すごく寂しい思いをした記憶があります。お坊さんになってみるとわかるのですが、365日お休みがないので遊びに連れていってもらえないんですね。

――ご自身が実際にお坊さんになってみてどうだったんでしょう?

大塚 修行したから、お経を覚えたからといって、お坊さんは何もできなんですよ。それだけではお坊さんは成り立たない。最初の10年くらいはいろいろなお寺に行って、「お手伝いしてください」と言われることをするんです。法螺貝を鳴らしたり、太鼓を叩いて拝んだり、最初は一生懸命がむしゃらにやっていましたね。そうすることによって、いろいろできるようになってくるんです。

――御祈祷もその過程で実践するようになっていったんでしょうか?

大塚 平成10年、住職になってから拝むほうをさらに一生懸命にやりだしました。「お伺い」といって、いろいろな人の相談を聞いて、仏さんにいろいろなことを聞くということを、お母さんの横で一緒にやっていました。ただ、その時の質問に対するお母さんの答えを聞いていて、何でそういうふうに答えられるのか不思議でした。

――ご自身の思い描くものと違っていたということですか?

大塚 ええ。自分もお母さんの横で困っている人の同じ相談を聞いていて、自分なりに答えを見つけて心の中で思っていても、自分の答えとお母さんの答えが違うんですよ。なぜそこに至るのか、その頃は全然わかりませんでした。

――なにか変化するきっかけがあったんでしょうか?

大塚 私が一番変わるきっかけになる出来事があったんです。ある信者さんのおばさんがご祈祷日に来たのですが、お母さんはその日たまたまお休みで。おばさんの相談は「うちの息子がイライラしていてどうしたらいいかわからない。何かあったのかもしれないが、拝んでいただけないか」というものでした。
ただ、その時はまだ何もわからない。どうしよう、でも何とかしなければと思い、仏さんに向いて、「この息子さんのイライラがなくなりますように」と一心に拝みました。そして、おばさんに「一生懸命拝みましたが、まだ変わらないようであれば、また来週来られた時にお伺いさせてください」と言って、帰っていただいたんです。

――その後、どんなことに?

大塚 それが、帰ってから1時間くらいして電話があって、「和尚さん聞いてください! 不思議なんです。いままでイライラして、工事の仕事中も荷物を投げたりしていた息子が帰ったら優しくなっていました!」と言われたんです。
そこから「ああ、自分の一生懸命願う気持ちというのは、時間、空間を超えて人に伝わるんだな」ということが明確にわかるようになりました。一生懸命、凝縮、集中して願うということがこんなに物事を動かすのか、ということがわかった。では、そのためにどんな修行をしたらいいかという話になってきたわけですね。

わかるだけでは意味がない

――ある意味で、そこがお坊さんとしてのスタートだったかもしれないですね。

大塚 もちろん、それまでも一生懸命にやっていましたが、どこか集中力がなかったのかもしれません。そのあたりから一生懸命集中してやるということの意味を知り、修行に身が入っていきましたね。仏さんにいろいろなことを聞いて、それを「ああしなさい」「こうしなさい」と人に言うよりも、一生懸命願いを叶えるご祈祷力をつけるほうが有効だということがわかったんです。

――仏様に聞くんですか?

大塚 じつは仏さんに、「すごい霊感を身につけるほうがいいか? すごいご祈祷力(叶える力)を身につけるほうがいいか? どちらがいいですか?」と聞いたことがあるんです。答えは圧倒的にご祈祷力でした。
たとえば、あなたは病気になりますよと(霊感によって)わかっても、それを治す力がなければ意味がないわけですよ。逆に、物事がわからなくても一生懸命に拝んで、その力で人の気持ちや心、病気を治したほうが有効ですよね? 何もわからなくても一生懸命に拝む気持ちさえあれば物事が変わる。だとしたら、そちらのほうを一生懸命にしなさいということがわかるようになりました。そうした経験が、今年もこれからやりますが、八千枚護摩供養という修行につながっていくんですね。

――実際にどんな修行なんでしょうか? 密教最大の荒業と聞いていますが……。

大塚 毎年4月11日から行に入るのですが、(その期間は)毎朝2時半に起きて水をかぶって、3時半からお堂に入ってずっと拝むんです。まず、お不動さんの真言を2時間くらいひたすら唱え、そのあとに護摩を焚いて……、それを1日3回、10日間繰り返し行います。

――すごい、10日間も……。

大塚 最後、4月20日の八千枚護摩の結願で護摩木を1万2000本燃やし続けるんですが、その日は朝9時ごろからお堂に入って護摩を焚きだし、そのまま夕方6時くらいまでずっと炎を上げ続けるんです。

――言葉を失いますね。

大塚 その間、炎の前の壇という場所に座り続けなければいけません。1万2000本を燃やし続けるために、ずっと火の前にいなければいけないわけですね。当然、とても熱いですが、その熱さに耐えなければいけないので、精神力も体づくりも必要なんです。それもあって3月に入ると夜ごはんを食べないようにしているため、ひと月で5~6キロくらい痩せます。さらに4月に入ると、朝と夜だけ精進料理をいただき、4月11日からは十穀断ち、塩断ち、お茶断ちをしています。

――塩まで断ってしまうんですね。

大塚 少しずつ断つので、また少しずつ痩せるのですが、それを2日間行います。1日目どうしても食べる時間もないので、2日目、3日目と朝、昼に水で煮たサツマイモ、カボチャなどを少し、イチゴなどの果物を少しと白湯をいただきます。ただ、お茶も断っていますし、塩分も摂ってはいけません。十穀断ちということなので、米や麦、大豆なども摂れないわけです。もちろん、調味料もゼロです。
お坊さんはご飯をひとつ食べようと思ったら、食べる前に拝んで、食べてからまた拝んでなので、最低でも30分はかかるんですね。1日拝んでいると、その30分がもったいなくなってくるんです。だから3日目、4日目くらいから水だけの断食に入るんです。そうすると体も痩せてくるし、関節も柔らかくなってきます。

悪い気持ちをなくすのが修行の目的

――エエッ、関節も柔らかくなるんですか?

大塚 筋肉が関節が曲がるのを邪魔しているので、痩せることで柔らかくなるんですね。体が軽くなるから、長い間座っていることができるようにもなりますね。また、護摩の時は8時間くらい火の前にいるのですが、塩を断つことによって熱さを感じにくくなるといいますね。あと、精神的には欲得がなくなります。

――欲がなくなることが修行にどう影響するんでしょうか?

大塚 欲がなくなるとはいうことは、食べたいと思わない、寝たいと思わない、そういう欲がなくなることによって人間は感情の起伏が減っていくんです。ちょっとしたことで怒ったり、笑ったりしなくなります。感情の起伏が少ないということは、心がつねに平常心でいられるということです。

――なるほど。平常心でいられることが大事なんですね。

大塚 最初にもお話ししましたが、集中して拝むことによって物事が叶います。ということは、悪いことを考えたらそれも通じてしまうわけですよ。だから、なぜそのような修行をするかというと、まずは悪いことを考えなくなり、ポジティブになる。
修行する、拝むとは何かというと、良いことも悪いことも叶えることができるんです、念じることは一緒なので。ですから、悪い気持ちを起こさないようになるのが修行なんです。お坊さんの仕事は多々あるのですが、お坊さんの修業は何のためにあるかというと、悪い気持ちをなくすことなんですね。

――祈りの力が絶大であるがゆえ、自分の感情のコントロールが求められる。荒業によってそういう状態に整えていくんですね。

大塚 食べたい、寝たいという生命維持の最大の欲を減らしていけば減らすほど、感情の起伏がなくなっていき、悪いことも考えなくなり、純粋に目の前の祈願だけを読んで、一生懸命願えるようになる。これが最大の修業なんです。
人間というものはどうしても心の中に欲得があったり、悪い気持ちがあるんです。それはなぜかというと、ひとつは健康であるから。要は、考える余裕があるからなんですね。たとえば、大きな病気になってしまった人は「こんなことしたい」「あんなことしたい」と思わないんですよね? 「病気が治ってほしい」と必死に思いながら、いま生きていることに幸せを感じたりするわけです。

――荒業を達成すること自体が目的ではなく、まさに御祈祷力を高めるために、余計なことを考えない状態をつくっていると。

大塚 病気の人は、「海外旅行行きたい」「車が欲しい」「家が欲しい」「お金がたくさん欲しい」なんて思わないんです。そんなことは目の前にはないですからね。人間というのは抑制されればされるほど、些細な幸せをすごく大きな幸せに感じられるんです。
私たちも断食をしていると、一杯の水を飲めることが幸せだったりするわけですよ。そんなことで幸せを感じられる。ましてや、美味しいものを食べたいとは思わないんですが、食べられる幸せというのは逆に感じますね。

――とはいえ、病気になって体調が崩れていくと、ポジティブになれない人も多いですよね?

大塚 ええ、病気をすると心が悪いことを考えがちな面もありますね。悪くなると愚痴を言いやすくもなりますが、それはあくまでも病気だからで、体の一部が悪いことでそういう気持ちになってしまいやすいんです。それに対して、断食のように自ら行う修行というのは、体のどこかが悪くなるわけではなく、体全体的に衰弱していく感じですね。そうすると全体的に欲得が減り、ひたすら目の前のことを一生懸命できるようになっていく。一番重要なことは、「一生懸命念じて拝むことによって良くなる」ということなんです。

空海もおなじことをやっていた

――大塚さんが続けておられる修行は、真言密教を開いた弘法大師・空海の教えがもとになっていますよね?

大塚 修行するための方法というのは、昔から伝えられてきています。いま私たちがやっていることは、1200年前に空海さんも同じことをやっていたわけですね。同じことを、ただ私たちは受け売りでやるんです(笑)。なぜかというと、「やったほうがいいよ」「こんなことが良かったよ」「あんなことが良かったよ」と、ずっと伝えられてきているから、要はそれを行っているだけなんです。

――新しいことをやっているわけではない?

大塚 ええ。ずっと伝統として守られてきたことを、いまやっているだけなんです。やはり前の人がやって「良い」というものをやると良いんですよ。自分で考えて「こうかな」「ああかな」ということもあるのですが……、たとえば、私がやっている八千枚護摩という修行は、護摩木を8000本燃やせばいいんです。1万2000本燃やす必要はないわけですが、私はもう少し自分の想いを強くできるように、少しプラスアルファするんです。

――後世の人がプラスできる余地もある?

大塚 たとえば、断食にしても本来は一昼夜すればよいと書いてあるので、7日間もする必要はないのですが、いま自分ができる最大限の努力をすることで、何か違う世界を体現できるのではないかという気持ちがあってやっています。

――なるほど。毎年の荒業のかなりの部分に、大塚さんの想いが乗っているんですね。ただ決められたことをこなすわけではなく……。

大塚 昔から拝み方とか修行のしかたについては書かれてあって、そこは端折ってはいけないんですが、プラスアルファして増やすことはOKとも書いてあるんです。プラスアルファどういうことをするかは、あくまでも拝んでいる人の気持ちであると。プラスアルファがどれだけハイリスクになるかによって、やはりハイリターンというものはあるので、要は圧倒的にご利益があるんですよ。
毎年やっているなかで一番楽しみなのは、そこから先の1年でゴロッと人の縁が変わり、新しい縁ができてつながっていくところなんですね。そうした縁がどんどんつながっていく楽しみを、自分自身感じられているのです。

――ご利益を感じているのは、誰よりも大塚さんご本人であると。

大塚 お坊さんになって八千枚護摩をやるまでと、やりはじめてから今日まででは、縁のつながり方が全然違うんですよ。それは過去があって現在(いま)があり、現在があるから未来があるということなのかもしれませんが、修行前はいつも同じご縁のなかで生活していたような感覚でした。それが、護摩を焚きだしてからプラスアルファ違う縁が別でまわっているような感覚になってきました。

――運命が大きく動き出すようになったんですね。

大塚 病気が治った人や大金を手にした人など、いろいろご利益があったという人はたくさんいるのですが、そうした人の願いを叶えるのは最低限で、それ以上に「自分自身に次は何が起こるのか」という楽しみがある、だからやめられないんですね。
私の親も12年間やっていましたが、真言宗で護摩行を長年できる環境にある人は、何万人ものお坊さんの中でも数パーセントと少ないんです。それぞれのお寺の環境によって、檀家参りやお葬式などで忙しかったりするとお寺をなかなか空けられなかったりするわけですが、私のお寺はご祈祷寺ですし、修行のためにお寺を空けてもまわりの理解があるので毎年行えているのだと思っています。

――八千枚護摩行は、ご祈祷寺だからこそ実現できている面もあるわけですね。

大塚 そういう環境にあるということと、父がやっていたのを側で見ていられたとことが大きかったと思います。紙に書いてあることを知ることはできても、そこから実践につなげるのはとても難しいし、まずできないと思いますね。やはりやっている人が身近にいて、そこで聞いて、学んで、初めてできるんですね。

――ご祈祷寺として受け継いできたものを、やはり次代にも継承していきたいですよね?

大塚 私が毎年やることによって、私のお寺に若いお坊さんがお手伝いに来たりしますから、そうやって受け継がれていくんでしょう。これが、師子相伝文化を継承するということだと思うんですね。すべてにおいて文化の継承は必要であり、そうした面にこそお坊さんとしての役割があるのではないかと思いますね。

――実際にやっていくことで受け継がれてきたんですね。

大塚 そう、前にやった人がいて、次にやる人がいるから、またその次があるわけです。やらなくなってしまったら、書いてあるものだけでは詳細まではわからない。そうやって弘法大師空海の教えが、いまも変わらずに伝わっているんです。

後編につづく)

(プロフィール)
大塚知明 Chimyo Otsuka
真言宗醍醐派 大師山妙法寺住職。修験道当山派吹螺師。1967年、奈良県生まれ。1990年、種智院大学卒業。1991年、醍醐寺伝法学院卒業後、僧侶になる。1998年、御祈祷寺として名高い大師山寺(奈良県吉野町)の住職に就任。2005年から15年以上にわたって、毎年4月、真言密教最大の荒業として知られる「焼八千枚不動護摩供修行」を続け、世界中の人たちの幸福と平安を祈願している。また、大峰山先達として年間十数回登拝、四国八十八ヶ所霊場をめぐるなど、フィールドワークを通して密教、修験道の伝統を広く伝えている。現在、ならどっとFMにて毎月第4月曜(15:00~16:00)放送中の「山寺おしょうのラジオ法話」でMCを務めるほか、全国各地で法話、祈祷、護摩供を続ける。NPO法人日本セルフメンテナンス協会理事。

2021年5月の吉野ツアーより(稲村ヶ岳山頂にて)
毎年4月20日に行われる、焼八千枚不動護摩供修行より(引用:人と地域と信仰がつながる場所「大師山寺」)。

八千枚護摩行を終えた直後の大塚さん。
インタビューは2019年4月、大師山寺に収録。