「沖縄の長寿を過去の遺産にせず、若い世代に伝えていくことが、これからのテーマですね」(平良一彦インタビュー)

明治半ばに沖縄を調査した京都帝国大学教授の松下禎二の言葉に、「人もし天寿を全うせんと欲せば、すべからく沖縄島へ移住すべし。沖縄島は日本屈指の健康地にして、まさに安全なる船のごとし」という一節があります。

今回インタビューにご登場いただく平良一彦先生は、この言葉に感銘を受け、生まれ故郷である沖縄の長寿について30年以上調査・研究してきたパイオニア。世界有数の長寿国となった日本の中でも独自の歴史と文化を持つ沖縄で、おじいちゃん、おばあちゃんが実践してきた長寿の習慣とはどんなものか? 沖縄特有の食生活、忙しい現代人が失ってしまった「ゆいまーる」の精神、腸内環境との深い関わりなどについて、平良先生の長年の研究をたどりながら、たっぷりと語っていただきました。

保健学から見た沖縄の長寿がライフワークに

――どのような経緯で沖縄と関わるようになられたのですか?

平良 昭和55年(1980年)、私は長崎大学に在籍していましたが、故郷である沖縄の琉球大学医学部の助教授に採用され、移ることになったのがきっかけです。
沖縄は本土復帰後間もない時期で、琉球大学には保健学部があり、それを新設/改組し、その中に医学科・保健学科をつくるという話がありました。
当時私は長崎大学医学部の公衆衛生学教室にいたのですが、医学部で扱う公衆衛生学の領域をもっと拡大し、社会性を強化したものが保健学部だという理解を持っていました。そのため、お世話になった教授から琉球大学にできる医学部医学科の保健医学講座に来てほしいとのお話もいただきましたが、公衆衛生学よりもカバーする範囲がぐっと広がり、より専門的な保健学のほうを選択し、琉球大学保健学部(1年後に医学部保健学科)に移ることを選んだのです。

――「長寿」を研究テーマに選ばれたきっかけは?

平良 当時、最後の保健学部長から「この文献を読んでいたほうがいいよ」ということでいただいいたのが、『沖縄島の衛生学的な観察』という本でした。
これは、明治37年ごろ京都帝国大学医学部の衛生学講座2代目の教授である松下禎二先生が沖縄を訪問されたときに集めた資料をもとに書かれた本でした。その論文の冒頭にある「人もし天寿を全うせんと欲せば、すべからく沖縄島へ移住すべし。沖縄島は日本屈指の健康地にして、まさに安全なる船のごとし。草木鬱蒼、四時緑帯び、夏は涼しく冬は暖かにして正に渾円球上の公園となすべき資格あり」という言葉に感銘を受け、沖縄の長寿研究を始めたのがきっかけになり、生涯のライフワークになっていきました。

――保健学と医学の違いは?

平良 医学の中の予防医学の部分をしっかり固めたものが保健学です。医学部には戦前から社会医学分野のひとつとして衛生学講座というものがありました。戦後になってアメリカの影響を受けて公衆衛生学教室ができたわけです。保健学は、この公衆衛生学と親戚どうしのようにダブりながら、「人間の健康を守る」という部分をより学際的に強化した学門分野ということです。

――人の健康というものを考えた時、日常の生活習慣もその範疇に入ってきますよね?

平良 どういう生活をしているかという個人のライフスタイルや、地域の風習、物の考え方など、非常に幅広いものがそこに住む人の健康に深く関わっていると思います。

――沖縄の風土は、公衆衛生学や保健学を研究されるのに格好の場所だった?

平良 そう思います。亜熱帯地域ということもあり、アジア、アフリカなどで現在も流行するマラリア、フィラリア、デング熱、さらにはハンセン病などの感染症は沖縄でも風土病として住民を苦しめました。
第二次世界大戦後の米国による占領下で、これらの疾病は当時本土より進んだ公衆衛生学的対策が実を結び、次々と改善が図られました。これらの疾病対策はいまなお途上国における疾病対策の参考となっています。
特にアメリカが公衆衛生学を大事にしていましたので、医療関係者(医師や看護師、保健師、養護教諭等)の養成も公衆衛生学的/保健学的な視点からもっと地域の生活と関わった形での教育が大事であったのです。保健学は、その部分に重点を置いて発展してきた学問です。また、伝統的に沖縄が長寿県であったという事実も、学際的な長寿研究の土俵として適した地域であったといえます。

長寿を左右する環境要因

――沖縄の気候風土の良さは多くの人が感じていると思いますが、健康的な生活を送るうえで沖縄のメリットはどこにあるでしょう?

平良 一年を通して温かな気候であることから、外で体を動かす時間が多いことは非常に大きなポイントだと思います。
日本の長寿村、短命村についても様々な研究をしてきましたが、気候を含めて生活する環境が全然違うのです。地元にいる人には感じにくいですが、よその環境を見てみると、改めてその良さに気づくことが多いですね。

――医学的には遺伝要因、環境要因とありますが、先生は環境要因の大切さというのを強く実感されている印象があります。

平良 物の考え方や学問も様々に進歩してきましたので、遺伝というものの大切さもわかるのですが、人間はほとんど同じ遺伝子をもっています。その中で、たとえば長寿遺伝子が働くか働かないか、こういったことがその人の健康に大きく影響しているということも言えますので、私たちは持っている良い遺伝子にいかに上手く働きかけてフルに活動できるようにするかということを考えなければなりませんし、健康づくりはそういったことを意識しながらやらなければと思いますね。

――筑波大学名誉教授の故・村上和雄先生は「遺伝子のスイッチをオンにする」ということをおっしゃっています。与えられた環境の中で、いかにプラスの遺伝子をスイッチオンにするかということですよね?

平良 そうですね。村上先生は、その人の物の考え方や、見えない大きな力を意識することが大事だと話されていますが、私の場合、1世紀近くを生きた多くのおじいちゃん、おばあちゃんに接することが何よりも大切だと思ってきました。
私たちは様々なことをおじいちゃん、おばあちゃんから教わってきました。その生き方をどうやって若い世代につないでいくか、ということが保健学の大きな役割ではないかと思うのです。
また、この保健学を老年学、あるいは未病をテーマとする学会などとも連携しながら、地域の健やかさや、私が「福寿」と呼んでいる、幸せで生き生きとした健康長寿を目指すべきだと考えています。それを表現する言葉が「ピンピンコロリ」なんだと思います。

――沖縄の長寿研究は、琉球大学着任時から打ち込んでこられたのですか? 調査の方法は?

平良 先ほども申しましたが、着任後、すぐに「沖縄島の衛生学的な観察」という分厚い本を渡されました(笑)。それからすぐに東京都老人総合研究所や東京女子栄養大学と協力しながら、おじいちゃん・おばあちゃんに接し、聞き取りを中心に大がかりな調査を行ってきました。沖縄県北部の大宜味村をメインフィールドに、秋田県なども行き来しながら疫学的調査・研究を進めていきました。

――研究や調査から見えてきた元気で健康的なお年寄りに共通していることは?

平良 食事の問題が非常に大きいですね。沖縄は豊かなところではなかったですから、豪華なものを食べてきたわけではありません。沖縄の地域特性として、まわりのものがみんな薬草だと言ってもいいくらい薬草の宝庫と言われてきました。そんな身のまわりの野菜をよく食べていたことが一番大きいと思います。
かつての沖縄(高齢者)は、秋田県と比べても野菜の摂取量が非常に多かったのです。そして、いまでもそうだと思いますが、食塩の摂取量は日本で一番少ないのが沖縄です。しかし、若い世代は野菜、塩の摂取量とも本土と変わらなくなっているのが現状です。80~100歳くらいの方は塩が5~6gでも美味しく感じます。
これは沖縄の料理には鰹節が多く使われ、その消費量も日本で一番多いと言われます。鰹節の旨み成分のおかげで薄味でも塩分を抑えながらも非常に美味しく食べられたことが非常に大きかったですね。ですから、かつて脳卒中、心筋梗塞が日本で一番少なかったのが沖縄でした。がんも含めて3大生活習慣病が極めて少なかったことが長寿県ということに反映されてきたということです。
次にタンパク質ですが、海に囲まれている割には本土と比べて魚を食べることは少ないのですが、その代わりに豚肉をよく食べます。これはもう何百年という歴史があり、さまざまな形で食されてきました。一般的に貧しいものですから、毎日たくさん食べてきたというよりも、季節の行事食としてうまく活用され、一年を通してみるとバランスよく食してきたといえますね。

アメリカへの憧れが失わせた長寿。いまこそ先人の声を聞こう。

――その一方で、沖縄はアメリカ文化の影響を受けてきたと思います。若い世代を中心にジャンクフードが広まっていったことも指摘されていますが、食生活の体へ及ぼす影響がいかに大きいか、思い知らされる面もあったのでは?

平良 そうですね。沖縄の健康状況や平均寿命などを見ていくと戦前・戦後に大きな境目があることがわかります。
戦後、ハンバーガーチェーン「A&W」が本土よりもかなり早くアメリカから入ってきました。その後マクドナルドなどが入ってくるのですが、そういった食べ物を若い世代が普通に受け入れ、口にしてきました。いまでは年配の方もお孫さんと一緒に食べている姿も多く見かけるようになりましたね。コーヒーを気軽に飲める利点はあるので、私もミーティング時などに利用することはありますが、これを昼食や夕食にするというのには抵抗があります。しかし、若い世代は必ずしもそうでないところまできていますので、これは非常に大きな問題だと思いますね。

――若い世代のほうが短命につながる食生活をしているという、日本全体が抱える問題の縮図のようですね。

平良 本土よりも沖縄の若い世代のほうが圧倒的に感化されている気がしますね。

――ライフスタイル含めて、アメリカ文化への憧れのようなものがあるのかもしれません。

平良 20年ほど前に中国へ行った際も、北京の街中ではマクドナルドの前に並んでいました。あの頃はまだまだ生活水準的には大変な時期であったと思いますが、やっぱり憧れなんだろうなと見ていました。
やはり、「食を正す」ということは「健康を正す」ことに直接結びついている大事なものだと思っています。私は健康問題を考えるとき、「食」と「睡眠」に注目してきました。もちろん、どちらも大事なのですが、まずは「食」を改めながら睡眠の質も考えていこうというお話をしています。

――沖縄には独特な食文化がありますが、沖縄に住んでいない方が取り入れたほうがいいことは?

平良 沖縄の食文化には、野菜、豆腐、動物性たんぱく質を多く摂取する、食塩の摂取量を抑える、という特長があります。
また、海藻も多く摂取しますが、沖縄には昆布はありません。琉球王朝時代に北海道から北前船で運ばれた昆布は、中国への交易品としての重要な役割を果たしていましたが、その昆布を地元の食文化にもしっかりと根付かせたことはとても素晴らしいことだったと思います。ちなみに沖縄では、昆布から出汁をとるのではなく、食べることで多く消費されてきました。出汁は鰹節からいう考え方ですね。

――日本の高齢者の健康を考えるうえで、たんぱく質の摂取が足りていないと元気でいられないという面があると思うのですが、沖縄の高齢者はこのあたりがうまくカバーできているのではないでしょうか?

平良 はい。そう思います。30年以上前の調査ですが、秋田と沖縄の同年代の摂取量比較でも秋田が20g、沖縄(大宜見村)が50gという感じでした。沖縄の人たちは、タンパク質の中でも必須アミノ酸や非必須アミノ酸20種類が豊富に入っている豚肉を昔から食べてきました。
こういったことが昔からわかって食べていたわけではなく、中国との交易の中で長期滞在する来訪者をもてなすことから豚肉料理が発展していったと聞いています。
沖縄には14世紀頃には豚肉が入ってきています。この頃、本土では4つ足は食するなという文化(生類憐みの令)や、宗教的な問題で食せなかった時期がありました。沖縄にはこういった文化や宗教の影響がなかったのが幸いだったのではないでしょうか。
さらには、山羊なども家の新築祝いやら子供の出産祝いなどで食されてきました。沖縄の高齢者は肉類が好きですよ。アミノ酸やたんぱく質の摂取とかかわりのあるロコモ、サルコペニアという概念がよく知られるようになりましたが、元気な高齢者を支えてきた肉類の摂取はこれからの高齢社会でも重要な課題でしょう。

沖縄独特の文化が生んだ長寿

――近年、健康を考えるうえで「腸内環境」が注目されていますが、腸の健康と長寿の関係についてはどのようにお考えですか?

平良 数十年前の沖縄で腸の健康を意識していた人はいなかったかもしれませんが、昔から不溶性・水溶性の食物繊維を含む野菜を多く食していたことだと思います。
近年の調査では1日230g程度の摂取量ですが、当時の大宜味村では1日400gを食していました。冷蔵庫のない時代、たとえば朝食べた味噌汁の残りを捨てずに、昼食時に野菜を足す、また残りを捨てずに夕食時に野菜を足すということを行っていました。特に意識したわけではないでしょうが、そうやって多くの野菜が摂取できていたのです。
また、家のまわりなどに自生する野草類(薬草など)を調理して食べていたのも、いま思えば腸の健康にも非常に良かったのかなと思いますね。

――意識せずとも自然に腸に良い食生活ができていたということですね。

平良 長い歴史が作り出した沖縄独特の文化、それを取り巻く宗教的な物の考え方を含む精神風土の中で、「ゆいまーる」という助け合い精神を持ち、人と人とのつながりを大事にしながら、地域で摂れるものを食してきました。そして、それは決してお金のかかることではなかったのです。

――忙しい現代人の食生活に足りないものが、沖縄にはあった感じがします。

平良 そうですね。いまは意識して腸の健康を訴えなければいけません。様々な分野の学問が発展することで脳と腸の関係もわかってきましたから、今後の課題は「生活の中で腸を大切にすることが体の健康、精神の健康、すべてに通じている」ということをどう理解させるかということでしょう。これからの時代、腸を中心とした教育・研究、あるいは生活指導が非常に大事になってくると思います。

――食事以外で日常の過ごし方、運動やストレスケアなど沖縄の高齢者から学んだことは何でしょうか?

平良 まず、気持ちの持ち方が非常にゆったりしていることですね。私は毎日を忙しく生きている人間でしたので、妻からももう少し孫と一緒にいてほしいなど、いろいろと言われてきました(笑)。沖縄の高齢者を見ていると非常にゆったりしていて「物事は何とかなる」という感じなのです。何もしないで何とかなるのではなく、やるべきことをしっかりとやりながら、あとは気持ちの切り替えが上手なのです。これがストレスを取り除くのに非常に大きな意味を持っていると思いますね。
あとは人づきあいですね。沖縄では模合(もあい)といって、中学時代、高校時代、大学時代の仲間同志が定期的に集まって親睦を深めるのですが、お互いの情報交換の場としても非常に大事にされてきました。社会生活における深い絆は心の安寧や充足感とも深くかかわっていますし、日々の生活の行動範囲も広くなり、より活動的な生き方にも関わっています。
ただ、最近のコロナ社会では模合の場も少なくなり、絆が希薄になってしまいました。沖縄の良かった面が否定されているようで、これでは認知症が増えていくのではないかと危惧しているところでもあります。

先人の声を次の世代へ、ライフワークの集大成

――いまコロナによって世の中が変わってきていると思います。コロナ終息後の人の生き方も変わってくるでしょうか?

平良 すでにかなり変わってきていますね。いい方向に変わった面もあるかと思いますが、良かったものが崩れたという面もあります。これから2~3年ほど様子を見ていかなければいけないと思っていますが、まずはいまのコロナの状況を何とかしなければいけない。昨年から厚生労働省や内閣府のコロナ対策室のドクターや役人の方々に「皆さんのやり方ではとても収まりませんよ」「なんで公衆衛生の原則をうまく活かさないのか?」ということを進言してきました。また、新聞にも5、6回ほど投書もしてきました。
ここまでの状況を見ると、感染源対策、感染経路対策、感受性者への対応の仕方がどこか抜けている感じがします。どこに行ってもPCR、PCR……、いわゆる積極的疫学調査が大事だと言っていますが、私からみればこれはもぐら叩きだと思います。いまの状態を見直さなければいけません。私たちが吸う空気の中にウイルスがいなければいいわけですから、これをどうするかという環境除菌をまず徹底させる必要があります。
PCR検査では体に入ったウイルスが数日経たなければ反応しません。感染後数時間経った初期段階でも数分で反応する抗原検査でおおよそのことがわかるので、何でも医療現場に頼るのではなく積極的な自己健康管理意識を高めるべく、薬局や自宅でも検査が行えるようにするとか、空いているホテルを待機/療養施設にするなど、もっと国が積極的に支援しなければいけません。
健康を考える時、当面の問題はコロナなので私も1年ほどかけてできることをやってきましたけれども、ある程度落ち着いてくれば本来の沖縄の良さを活かしたヘルス&メディカルツーリズムのようなものを考えていきたいと思っています。

――セルフメンテナンス協会の会員の皆さんは健康意識が高いので、ゆくゆくはウェルネスツーリズムで沖縄を訪問し、先生が研究され素晴らしいと感じたところのエッセンスを体感したいと考えています。また、それを日常に還元していくことが体にとって良いことだと思っていますので引き続きご指導ください。

平良 それはとても大事なことだと思います。私も地元で仲間たちと常々そういったことを話しています。30年以上にわたり沖縄の高齢者の生活などを県などと一緒に調査・研究してきたわけですが、まだそれをまとめきれていない部分もあります。これを整理し、まとめて、教え子の教授たちを含めた次の若い世代につなげていくことがいまの私の役割であると感じています。

――今後、私たちも沖縄に行く機会があると思います。通常の観光とは違った、土地の人しかわからない良さもたくさんあると思いますので、そのあたりをご紹介いただきながらご指導いただけると有難いです。今後ともよろしくお願いします。

平良 はい。長寿というものを過去の遺産にしてはいけないと思っています。いま長寿であることが大事だということを、どうやって若い人に伝えていくかが大きな課題だと思いますので、ぜひ連携しながらやっていきましょう。

(プロフィール)
平良一彦 Kazuhiko Taira
医学博士・琉球大学名誉教授。未病専門指導師、日本未病学会名誉会員、NPO法人沖縄県食育協会理事、公益財団法人沖縄県医科学財団監事。やんばるヘルスプロジェクト代表。1970年長崎大学大学院薬学研究科修了(薬学修士)。1978年医学博士(長崎大学)。長崎大学医学部助手、講師、琉球大学医学部助教授、教育学部教授、観光産業科学部教授、副学部長、観光科学研究科長などを経て、2011年4月より琉球大学名誉教授に就任。 沖縄の長寿要因について社会医学、保健学、栄養学、看護学、社会学、心理学など総合的な視点から長期追跡により研究を進めている。

吉野ツアーの一コマ(2021年5月、稲村ヶ岳山頂にて)
大師山時で法話中の大塚さん。
同じく大師山寺での御祈祷の一コマ
修験道のメッカ、女人禁制の大峰山山行より。
吉野訪問の折、大塚さんと歓談。